初夏に参拝した宝積寺で小槌の宮に祈願・2022年
5月下旬に京都府乙訓郡大山崎町の大念寺に参拝した後、さらに天王山を5分ほど登り、宝積寺(ほうしゃくじ)を訪れました。 宝積寺は、宝寺とも呼ばれています。 宝寺なんて、福を招いてくれそうな縁起の良い名ですね。 天王山を上った時は、宝積寺で、しっかりと福を授かって帰りたいです。
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5月下旬に京都府乙訓郡大山崎町の大念寺に参拝した後、さらに天王山を5分ほど登り、宝積寺(ほうしゃくじ)を訪れました。 宝積寺は、宝寺とも呼ばれています。 宝寺なんて、福を招いてくれそうな縁起の良い名ですね。 天王山を上った時は、宝積寺で、しっかりと福を授かって帰りたいです。
5月下旬に京都府乙訓郡大山崎町の離宮八幡宮に参拝した後、大念寺を訪れました。 大念寺に参拝するのも久しぶりで、どのようなお寺だったか、ほとんど記憶がありません。 小さなお寺だったことは覚えているのですが。
5月下旬。 京都府乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)に参拝しました。 以前に離宮八幡宮を訪れたのは10年以上前のことです。 久しぶりだと道に迷いそうになりましたが、なんとかたどり着くことができました。
元弘2年(1332年)に楠木正成が天王寺で討幕のために挙兵し、その後、11月には護良親王(もりながしんのう)も吉野で挙兵しました。 これに対して、鎌倉幕府も楠木正成がたてこもる赤坂城と千早城、護良親王がたてこもる吉野へ大軍を動員し、反乱を鎮めようとします。 幕府軍が、楠木正成と護良親王に手を焼いている間、今度は、元弘3年1月に赤松円心が播磨で挙兵しました。
神社には、拝殿という建物があります。 拝殿では、神社の祭礼が行われたりしますが、参拝者が拝礼をする場所でもあります。 この拝殿には、建物の中央に通路が設けられた割拝殿(わりはいでん)というものがあります。 あまり見かけませんが、京都には割拝殿がある神社がいくつかあります。 私が訪れた京都の神社の中では、4つの神社に割拝殿がありました。
京都府乙訓郡大山崎町の天王山の山頂に「十七烈士の墓」があります。 天王山の史跡というと、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの碑が有名ですが、十七烈士の墓も幕末維新の史跡として重要なものです。
京都府と大阪府の境に位置する大山崎町には、天王山があります。 大山崎町の観光というと、この天王山に登ることとなるのですが、頂上まで行くのは結構大変です。 とても、軽い気持ちで登りきることはできませんね。 そうすると、ふらっと出かけて大山崎町を観光するのは無理なのかというと、そんなことはありません。 少しは天王山に登る必要はありますが、気軽に訪れることができる観光名所が5ヶ所あります。 そこで、今回の記事では、その5ヶ所の名所を紹介します。
京都府乙訓郡大山崎町には、天王山があります。 「天下分け目の天王山」という言葉は、大山崎町の天王山が語源で、天正10年(1582年)6月13日に羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した地として知られています。 山崎の戦いで勝利した羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、その後、次々とライバルを打ち破っていき、やがて天下統一を果たすことになります。 この羽柴秀吉の天下統一の第一歩となった山崎の戦いの解説を記した「秀吉の道」という大きな板が、天王山の麓から山頂まで全部で6つあります。
乙訓郡大山崎町は、京都府の西の端に位置しています。 大山崎町と言えば、天王山があることで有名ですが、他にも桜の名所が多いことで知られています。 そこで、3月30日にそろそろ桜が咲き始めているだろうと思い、大山崎町にお花見に行ってきました。 今回の記事では、阪急大山崎駅から天王山を登るように桜の開花状況をお伝えします。