室町時代一覧

足利将軍と世界遺産の寺院

1338年から1573年まで続いた室町幕府。 14世紀後半の南北朝の争乱や1467年の応仁の乱から始まった戦国時代など、室町幕府は政治的には不安定な政権だったと言えます。 しかし、室町時代は、文化的には北山文化や東山文化などが花開いた時代でもありました。 特に歴代の足利将軍が建立した寺院は文化的に優れたものが多く、天龍寺、金閣寺、銀閣寺に関しては世界文化遺産に登録されるなど、高い評価を受けています。 そこで、今回の記事では、上記3つの寺院と創建した足利将軍について紹介したいと思います。

室町幕府の史跡は質素

鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。 いずれも武家の棟梁が築いた政治体制で、征夷大将軍になったのは全て源氏です。 源氏といえば、坂東武者というイメージが強いので、鎌倉幕府や江戸幕府のように政治の中心を関東に置いたことは当然のことだと思います。 しかし、室町幕府は関東ではなく、京都を政治の中心としました。 足利尊氏が京都に幕府をつくったことで、北山文化や東山文化が開花し、そのおかげで今日、金閣寺や銀閣寺に観光に行けるのですから、感謝しなければなりませんね。 ところで、室町幕府の史跡を観たことがあるでしょうか。 江戸城のように大きなものが存在していても良さそうなのです...

世阿弥と新熊野神社

前回の記事では、京都の熊野三山を紹介しました。 その熊野三山のひとつである新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、能楽の大成者である世阿弥と縁があることで知られています。 そこで、今回は世阿弥と新熊野神社を簡単に紹介します。

京都を焼き尽くした応仁の乱

京都の町は、歴史の中で、数々の戦乱や火災によって焼失してきました。 その中でも、応仁元年(1467年)から11年間にわたって続いた応仁の乱は、町を焼き尽くし、京都の人々や文化に大きな影響を与えました。 おそらく、京都の焼失の中では応仁の乱が最大規模だったのではないでしょうか。 ところで、この応仁の乱はなぜ起こったのでしょうか? 歴史の教科書でも採りあげられていますが、今一度みていきたいと思います。