渡月橋越しの嵐山の眺め
京都の嵐山に観光や旅行で訪れた時、必ずと言っていいほど、渡るのが渡月橋。 観光シーズンともなると橋の上の車道も歩道も大渋滞となり、なかなか動けなくなります。 歩道が渋滞するのは、多くの方が、橋の上から嵐山の風景を眺めるために立ち止まることが原因です。 急いでいる時には、歩道で立ち止まらないで欲しいと思うのですが、やはり、嵐山の風景が目に入ると、ついついゆっくりと歩きたくなる気持ちがわかります。
観光名所、史跡、四季折々の風景を写真とともに紹介するブログ。※アフィリエイト広告を利用しています。
京都の嵐山に観光や旅行で訪れた時、必ずと言っていいほど、渡るのが渡月橋。 観光シーズンともなると橋の上の車道も歩道も大渋滞となり、なかなか動けなくなります。 歩道が渋滞するのは、多くの方が、橋の上から嵐山の風景を眺めるために立ち止まることが原因です。 急いでいる時には、歩道で立ち止まらないで欲しいと思うのですが、やはり、嵐山の風景が目に入ると、ついついゆっくりと歩きたくなる気持ちがわかります。
毎年9月9日は重陽の節句。 この日は、京都でもいくつかの神社で重陽の節句の神事が行われます。 ということで、私も今年は右京区の車折神社(くるまざきじんじゃ)の重陽祭に参加してきました。 今回の記事では、その模様を紹介したいと思います。
京都には変わった神社がいくつかあります。 右京区のトロッコ嵐山駅から徒歩5分ほどの場所に建つ御髪神社(みかみじんじゃ)もそのひとつと言えますね。 御髪神社は、テレビなどでよく紹介されるので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
小倉あんは、日本人なら誰もが一度は口にしたことがある食べ物ではないでしょうか。 俗にアンコと呼ばれている小倉あん。 日本で誕生したというのは、なんとなくわかりますが、いつ頃、どこで作られたのかと尋ねられて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。 実は、小倉あんの発祥の地は京都です。 それも観光地として賑わっている嵯峨野なのです。
毎年8月16日は、京都の嵐山で嵐山灯篭流しが行われます。 昭和24年(1949年)に戦没者の霊を慰めるために始まった嵐山灯篭流しは、現在では、お盆にお迎えしたお精霊さまを極楽浄土へお送りする行事として定着しています。 また、渡月橋から桂川に流されるたくさんの灯篭は、五山の送り火とともに京都の夏の終わりを告げる風物詩となっています。
鎌倉時代が終わり(1333年)、その後に訪れたのが、朝廷が北朝と南朝に分裂して争う南北朝時代でした。 50年もの長きにわたって南北朝の争乱が繰り広げられたのは、後醍醐天皇に対立した足利尊氏が、光厳天皇(こうごんてんのう)を北朝の初代天皇として擁立したことが原因とされています。 しかし、実は、足利尊氏が北朝をつくる以前から、南北朝の争乱の火種は皇室にくすぶっていたのです。
平安時代末期、祇王という白拍子がいました。 白拍子とは、当時の男性の恰好をして、歌を歌ったり、舞を披露する女性のことです。 祇王は、白拍子の中でも歌や舞がとても上手だったので、当時の都では、その名が知られていました。
京福電車の嵐山駅から竹林に囲まれた道を少し歩いたところに野宮神社(ののみやじんじゃ)という神社が建っています。 この付近は、拝観料を納めなければ入ることができない寺社が多いのですが、野宮神社は無料で参拝できます。 なので、嵐山に観光や旅行で訪れた際には、野宮神社に参拝しておくといいでしょう。
京福電車には、車折神社(くるまざきじんじゃ)という駅があります。 その名のとおり、この駅を出てすぐのところには、車折神社という神社が建っています。 この神社は、境内に芸能関係者御用達の神様が祀られていることで有名です。
今回は、5月下旬に訪れた嵯峨野の大覚寺を紹介したいと思います。 大覚寺は、春の桜と秋の紅葉が有名です。 なので、初夏のこの時期は、観光客の方が少なく、落ち着いて拝観することができました。