武蔵坊弁慶が愛した大きな石・弁慶石
京都市中京区の三条通を河原町から西の烏丸に向かって進んで、アーケード街を過ぎたあたりに建っているビルの入り口付近に大きな石と石碑が置かれています。 その大きな石は、弁慶石と呼ばれています。
京都市中京区の三条通を河原町から西の烏丸に向かって進んで、アーケード街を過ぎたあたりに建っているビルの入り口付近に大きな石と石碑が置かれています。 その大きな石は、弁慶石と呼ばれています。
京都市左京区の金戒光明寺の墓地には、崇源院、春日局(かすがのつぼね)、徳川忠長の供養塔があります。 いずれも江戸時代初期の人物で、お互いに深い関係があることで知られています。
11月18日に京都御所拝観、梨木神社などの紅葉の観察の後、最後に訪れたのが下鴨神社です。 下鴨神社も秋の紅葉がきれいなことで知られています。 そろそろ見頃に近付いているのではないかと思い、どれだけ紅葉が進んでいるかを確かめてみることに。
11月18日に京都御所を拝観した後、京都御苑の東側にある梨木神社、廬山寺、清浄華院(しょうじょうけいん)の紅葉の様子を観てきました。 今回は、その内容をお伝えします。
毎年秋になると京都御所の一般公開が行われます。 2010年は、11月17日から21日まで一般公開が行われるということなので、18日に拝観してきました。 という訳で、今回は京都御所の秋の一般公開の模様を紹介します。
京都市伏見区の横大路は、車の交通量が多い地域です。 国道1号線や外環状線が走っているので、当然と言えば当然です。 こういう交通量の多い地域にはあまり観光目的で訪れる人は少なく、実際に名所と呼ばれる場所も多くありません。 しかし、探してみるとあるもので、横大路にも田中神社という神社が建っているのを発見しました。
治承4年(1180年)5月。 以仁王(もちひとおう)が源頼政とともに平家追討のために挙兵します。 以仁王側には園城寺(おんじょうじ)などの僧も加わりましたが、最終的に平家によって鎮圧されました。 この挙兵に僧が加わったことが、後に平家による南都焼討へとつながり、その時の総大将であった平重衡(たいらのしげひら)の運命を変えることになります。
京都は観光都市なので、多くの名所の近くには、電車の駅があります。 しかし、観光名所の中には、近くに電車の駅がないところもあり、こういったところは、ついつい敬遠したくなります。 京都市伏見区の久我(こが)も、そういったところのひとつですね。 久我は、桂川の西側にあり、東の近鉄電車の伏見駅からは20分以上歩かなければなりません。また、西のJR向日町駅から歩くにしても30分程度かかります。 どの電車に乗っても結構歩かないといけないので、久我の散策は敬遠してしまいがちですが、しかし、この地域には、菱妻神社(ひしつまじんじゃ)と久我神社という興味深い神社があるので、無視することは...
叡山電車の一乗寺駅から南西に5分ほど歩いた辺りに通称赤の宮神社と呼ばれている賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)が建っています。 詳しい創建年代はわかっていないようですが、西暦900年頃の延喜年間には、この地に鎮座していたようです。
京都の街を歩いていると今まで何もなかった場所にいつのまにか石碑が置かれているということがよくあります。 伏見区の京阪墨染駅から西に10分ほど緩やかな坂を下って行ったあたりにも、平成21年(2009年)12月に建立されたばかりの石碑があります。 その石碑には、「この付近 近藤勇 遭難の地」と刻まれています。