流れ橋の修復費用をどうすべきか?

木津川にかかる流れ橋が、2013年9月の台風で流されてしまいました。 これで5年連続の流失です。 流れ橋という名は通称で、正式には上津屋橋(こうづやばし)といいます。 川が増水し、橋桁まで水位が達すると、橋床が流れてしまうことから流れ橋と呼ばれています。 でも、橋床はワイヤーでつながっているので、流されても、水位が下がれば、再び回収することができるので、すぐに修復できます。

2014年12月末で営業終了する京都国際ホテルに泊まるなら今のうち

京都市中京区の二条城の前に建つ京都国際ホテルが、2014年12月末で営業を終了することになりました。 よく二条城の周辺を散策するときは、このホテルの前を歩いたものです。 私は京都に住んでいるので宿泊したことはないのですが、ネットの口コミなんかを読んでいると、サービスも良くてリピーターの方も多そうな感じだったんですけどね。

悪王子町と元悪王子町の関係

地下鉄五条駅を出ると烏丸五条の交差点です。 この交差点の北西の角に悪王子町という町名が残っています。 また、五条駅からひとつ北にある四条駅の東には、元悪王子町という地名も残っています。 悪王子町と元悪王子町。 何か関係があるのでしょうか?

霊明殿に奉祀されていない歴代天皇・泉涌寺

京都市東山区に建つ泉涌寺(せんにゅうじ)には、天智天皇からの歴代天皇の御尊牌を奉祀している霊明殿という建物があります。 現在の霊明殿は、明治17年(1881年)に明治天皇によって再建されたものです。 泉涌寺は、御寺(みてら)とも呼ばれており、皇室の菩提所として篤く信仰されてきたお寺です。 なので、霊明殿には、天智天皇からの歴代天皇の御尊牌が祀られているわけです。 しかし、不思議なことに天智天皇以降のすべての天皇の御尊牌が祀られているわけではありません。

天武天皇が吉野に赴く途中に立ち寄った許波多神社

京都市山科区にある天智天皇陵は、天皇が遠乗りに出かけ行方不明となり、沓(くつ)が落ちていた場所に造営されたという説があります。 確証はあっても埋葬されているのかわからない天智天皇山科陵 天智天皇は、病死というのが通説ですが、実は暗殺されたのではないかともいわれています。 天智天皇が行方不明になったという説が、暗殺説の背後にあるわけですが、では、暗殺したのはいったい誰なのでしょうか? これについては、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)ではないかと考えられています。

確証はあっても埋葬されているのかわからない天智天皇山科陵

天智天皇と言えば、大化元年(645年)の大化の改新の中心人物として知られています。 まだ、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれていた頃、中臣鎌足(なかとみのかまたり/藤原鎌足)とともに蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、その父の蘇我蝦夷(そがのえみし)も自害したことで、政治の中心が蘇我氏から天皇へと移りました。 その天智天皇が崩御したのは、天智天皇10年(672年)で、陵(みささぎ)は京都市山科区にあります。

2012年から2013年にかけて新規オープンした京都市中心部のホテル

近年、京都市内では、ホテルなどの宿泊施設の新規オープンが目立っています。 特に増えてきているなと思うのが、京町家を改装したゲストハウスや1棟貸の宿ですね。 ゲストハウスは、宿泊料金が安く抑えられることから若者や海外からのバックパッカーに人気があります。 ホテルについては、閉鎖するところもあるのですが、その数以上に新規オープンするホテルの方が多い感じです。 最近オープンしたホテルなんかは、四条烏丸や京都駅近くと便利な場所にありますね。 今回の記事では、2012年から2013年にかけて新規オープンした京都市中心部のホテルをいくつか紹介します。

わずか数十騎で楠木正成討伐に向かった宇都宮公綱

元弘2年(1332年)3月に鎌倉幕府に反旗を翻した後醍醐天皇が隠岐に流されました。 4月には、幕府が擁立した光厳天皇が即位したことで、一件落着と思えたのですが、ちょうどこの頃から後醍醐天皇に味方する楠木正成が動き出します。 楠木正成は半年前に赤坂城で戦死したと噂されていました。 ところが、彼は生きており、幕府の湯浅定仏(ゆあさじょうぶつ)が管理していた赤坂城を奪回したのです。 これに驚いた六波羅探題の北条仲時は、5月17日に楠木正成討伐のために隅田通治(すだまさはる)と高橋宗康に5,000の兵を持たせ、大阪の天王寺へと向かわせました。

明治天皇が崇徳天皇の御霊を京都に戻したのはなぜ?

長寛2年(1164年)8月26日に保元の乱に敗れ、讃岐に島流しとなった崇徳上皇が亡くなりました。 その崇徳上皇の御霊が再び京都に戻ってきて京都市上京区の白峯神宮に祀られたのは、それから約700年も経った慶応4年(1868年)のことでした。 なぜ、こんなに時が過ぎてから崇徳上皇の御霊が京都に戻ってきたのでしょうか。