
二尊院にある吉田光由の墓
現在も、そろばんを使って計算されている方はいると思います。 そろばん教室も目にすることがありますから、電卓、パソコン、スマートフォンが発達しても、そろばんはこれからも残っていきそうな道具ですね。 そろばんの歴史は古く、紀元前からあったようで、日本には15世紀初頭には伝来していたと考えられています。 日本で、そろばんを使った算術が広まったのは江戸時代に入ってからで、吉田光由(よしだみつよし)が著した塵劫記(じんこうき)がその発展に貢献しました。
現在も、そろばんを使って計算されている方はいると思います。 そろばん教室も目にすることがありますから、電卓、パソコン、スマートフォンが発達しても、そろばんはこれからも残っていきそうな道具ですね。 そろばんの歴史は古く、紀元前からあったようで、日本には15世紀初頭には伝来していたと考えられています。 日本で、そろばんを使った算術が広まったのは江戸時代に入ってからで、吉田光由(よしだみつよし)が著した塵劫記(じんこうき)がその発展に貢献しました。
二条城から堀川通を北に少し歩くと、昔ながらの和風の建物が建っています。 その建物の前には、石碑と説明書が設置されており、近くに寄って確かめてみると、「伊藤仁斎宅(古義堂)跡並びに書庫」と書かれていました。 そう、ここは江戸時代の漢学者・伊藤仁斎の住宅「古義堂」があった地です。
京都市中京区に建つ壬生寺(みぶでら)は、新撰組ゆかりのお寺として有名です。 境内の壬生塚には、新撰組局長の近藤勇他、新撰組隊士のお墓があり、新撰組ファンの方々の参拝が絶えません。 その壬生塚には、参拝者にあまり注目されていない壬生官務家(みぶかんむけ)墓塔もあります。
京都市左京区に百万遍知恩寺というお寺が建っています。 当寺は、浄土宗四ヶ本山のひとつに数えられており、割と広い境内を持っています。 その百万遍知恩寺の広い境内には、阿弥陀さまが刻まれた阿弥陀仏経碑(あみだぶつきょうひ)という石碑があります。
京都市中京区に二条城が建っています。 二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に築城し、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として使われていました。 この二条城は、拝観することが可能で、その入り口となっているのは堀川通に面した東大手門です。 豪壮な櫓門(やぐらもん)は、まさに城の防衛のための建造物といった感じで威圧感があります。
毎年8月16日は、京都で五山の送り火が行われます。 京都のお盆は、13日に先祖の精霊(しょうりょう)を迎え、16日の夜に浄土へ帰って行くのを見送る風習があります。 五山の送り火は、盂蘭盆会(うらぼんえ)の精霊送りの行事で、京都を囲む5つの山に「大」、「妙・法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の形に火を点けます。 ということで、8月16日の夜に京都市上京区の京都御苑で五山の送り火を見てきました。
明治維新の原動力となったのは、イギリスと清国との間に起こったアヘン戦争でした。 アヘン戦争ではイギリスが勝利し、清国はイギリスの言いなりとなります。 このままでは、日本もイギリスなどの西洋諸国に侵略されてしまうという危機感が国内で沸騰し、外国人を打ち払うべきだという主張と開国して近代化すべきだという主張がぶつかり合い、やがて明治維新を迎えました。
8月11日の夜。 京都市左京区の岡崎公園を訪れました。 岡崎公園も、京の七夕の会場となっており、2018年は8月11日と12日の2日間、様々な催しが行われました。
8月11日の夕方に訪れた北野天満宮。 御手洗川足つけ燈明神事で涼んだ後、境内の西側にある御土居に向かいました。 北野天満宮の御土居では、京の七夕が行われている8月4日から16日まで五色の七夕ライトアップが実施されます。 ライトアップの開始は日没からで、午後9時に閉門です。 なお、拝観料は必要ありません。
8月11日の夕方。 京都市上京区の北野天満宮を訪れました。 北野天満宮は、毎年旧暦の七夕の時期に開催される「京の七夕」の会場となっています。 2018年は、8月4日から16日までが開催期間で、境内は七夕飾りが設置され、御土居のライトアップも実施されます。 また、この期間は、御手洗川(みたらしがわ)足つけ燈明神事も行われます。