
中世に和歌所が設けられた新玉津島神社
9月末に京都市下京区の平等寺に参拝した後、烏丸通を西に渡って新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ)を訪れました。 以前に新玉津島神社を訪れたのは、随分と前のことになります。 小さな神社ということもあり、普段は、その存在を忘れてしまっているのですが、近くまで来たためか、新玉津島神社のことを思い出し、参拝することにしました。
9月末に京都市下京区の平等寺に参拝した後、烏丸通を西に渡って新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ)を訪れました。 以前に新玉津島神社を訪れたのは、随分と前のことになります。 小さな神社ということもあり、普段は、その存在を忘れてしまっているのですが、近くまで来たためか、新玉津島神社のことを思い出し、参拝することにしました。
9月末に京都市下京区の上徳寺に参拝した後、北西に10分ほど歩き、平等寺を訪れました。 平等寺は、四条烏丸のビジネス街から近い場所に建っています。 境内は、それほど広くありませんが、本堂は立派で、いつも地元の方がお参りに来ていますね。
9月末に京都市下京区の市比売神社に参拝した後、北に5分ほど歩き上徳寺を訪れました。 上徳寺は、2月の世継地蔵尊大祭には多くの参拝者で賑わいますが、それ以外は人が少ないです。 参拝中に境内で人を見かけることは、あまりないですね。
9月末に京都市下京区の松明殿稲荷神社に参拝した後、北西に10分ほど歩き市比売神社(いちひめじんじゃ)を訪れました。 市比売神社は、女性を守護する社ということもあり、境内には女性が多く、男性の参拝者を見かけることが少ないですね。 これまで市比売神社に参拝したことはありますが、最後に訪れたのは随分と前のことです。
9月末。 京都市下京区の松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)に参拝しました。 松明殿稲荷神社は、七条大橋の西側に建っています。 よく目立つ場所なのですが、観光や旅行で京都に訪れた方が、当社に立ち寄ることはほとんどありませんね。
天正13年(1585年)に関白に就任した豊臣秀吉は、その翌年の天正14年に京都に聚楽第(じゅらくてい/じゅらくだい)の造営を開始しました。 聚楽第は、今はありませんが、かつて聚楽第があった場所には、それを示す石碑が立っています。 ただ、その石碑は、あまり目立つものではなく、気づかずに素通りしてしまう程度のものです。
延元元年(1336年)6月30日。 後醍醐天皇方の新田義貞と名和長年は、東寺にたてこもる足利尊氏を攻撃しました。 しかし、東寺の東大門は固く閉ざされ、新田義貞と名和長年は、足利尊氏を討ち取ることができませんでした。
9月中旬に京都市上京区の清浄華院に参拝した後、京都御苑を散策しました。 京都御苑は、京都御所や京都仙洞御所などがある広大な敷地です。 観光客や旅行者に人気の場所ですが、あまりに広いので、たくさんの人が一度に訪れても混雑した感じはありませんね。
9月中旬に京都市上京区の廬山寺に参拝した後、北隣に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)にも参拝しました。 清浄華院は、浄土宗四ヵ本山のひとつに数えられるお寺です。 京都御苑の東に建っているので、多くの観光客や旅行者の方が訪れそうなのですが、意外と人が少なく落ち着いてお参りできます。
9月中旬に京都市上京区の梨木神社の萩を見た後、東隣の廬山寺(ろざんじ)を訪れました。 廬山寺は、正式には廬山天台講寺といい、天台圓浄宗の大本山です。 毎年2月3日の節分会には、多くの参拝者が訪れ境内がにぎわいますが、その他の時期は人が少ないですね。