今も昔も人や物の往来が多い粟田口
昔、京都への入口のことを「口」といいました。 代表的な口が7つあったことから、これらを総称して京の七口と言ったりもします。 その中で東の入口となっていたのが粟田口(あわたぐち)です。 粟田口は、三条大橋の近くに設けられ、東海道、東山道、北陸道の三道に通じていました。
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昔、京都への入口のことを「口」といいました。 代表的な口が7つあったことから、これらを総称して京の七口と言ったりもします。 その中で東の入口となっていたのが粟田口(あわたぐち)です。 粟田口は、三条大橋の近くに設けられ、東海道、東山道、北陸道の三道に通じていました。
京都は、街中に様々な史跡があります。 一見して、それとわかるものもあれば、道路の脇にさりげなく石碑が置かれていて、見落としてしまいそうなものなど、多種多様です。 京都市山科区にある「五条別れ」の石柱は、あまり大きくない道路の角にポツンと置かれています。 私は、この石柱を見るために山科区に訪れたのではなく、発見したのは偶然です。 一体、五条別れの石柱は、どういったものなのでしょうか。
京都駅から伏見区まで南北に竹田街道が走っています。 竹田街道は昔から京都の交通にとって重要な役割を果たしており、人だけでなく多くの荷物も行き来していました。 江戸時代には、荷物を運ぶのに牛車(うしぐるま)を利用しており、材木や米などが運ばれていました。
京阪電車が、またまた坂本竜馬のスタンプラリーを開催。 期間は、2010年7月1日から12月23日までの約半年間です。 1回目のスタンプラリーでは、スタンプを3つ集めて見事に景品のあぶらとり紙をゲットできました。 もちろん、第2弾の今回も景品をゲットするべくスタンプラリーに挑戦してきました。
京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たんとなっています。 そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。 しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。
2010年7月21日追記:12月23日まで第2弾のスタンプラリーを開催しています。景品などの情報は下記ページをご覧ください。 坂本竜馬スタンプラリー第2弾も景品ゲットぜよ 2010年1月8日から5月9日まで京阪電車では、「おけいはん、龍馬とゆく!スタンプラリー」を開催しています。 今年の大河ドラマが龍馬伝ということもあって、京都ではこういったイベントがいろんなところで開催されていますね。 私も京阪電車のスタンプラリーに参加して景品をいただくことができました。
観光や旅行で京都に訪れた時に京都らしさを感じるもののひとつとして挙げられるのが鴨川です。 三条大橋や四条大橋から鴨川の流れを見ると京都に来た実感が湧いてくるという方も多いのではないでしょうか。 京都らしさを感じる川は、鴨川の他にもいつくかあります。 鴨川のやや西にある木屋町通に沿って流れている高瀬川もそのひとつですね。
京都市内は非常に渋滞します。 特に観光シーズンともなるとバスやタクシーなど公共の交通機関までが渋滞に巻き込まれ、とんでもなく移動時間がかかってしまうこともあります。 その原因は、京都市内の道路の整備などいろいろとあるでしょうが、やはり車で京都に訪れる方が多いということですね。 京都観光を快適に楽しむなら、パークアンドライド駐車場を利用することをおすすめします。
江戸と京を結ぶ東海道は、東の出発点が日本橋で西の出発点が鴨川に架かる三条大橋でした。 現在の長さは約100メートルあり、しっかりとした橋ですね。 ところで、三条大橋はいつから鴨川に架かっていたのでしょうか?
平安時代後期、平家が権勢を誇っていた頃、夜な夜な五条の橋に体格の良い荒法師が出没していました。 その荒法師の名は武蔵坊弁慶。