江戸時代の水運で発展した伏見港
京都市伏見区には、以前は水運の拠点だったことから、港がありました。 その港は伏見港と呼ばれ、現在の京阪電車中書島駅付近は港町として賑わっていました。 しかし、今では伏見港は埋め立てられ、公園となっています。 埋め立てられたということは、港が必要なくなったということですが、その理由は一体何だったのでしょうか。 そこで、今回の記事では、伏見港の発展と衰退の歴史について紹介したいと思います。
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京都市伏見区には、以前は水運の拠点だったことから、港がありました。 その港は伏見港と呼ばれ、現在の京阪電車中書島駅付近は港町として賑わっていました。 しかし、今では伏見港は埋め立てられ、公園となっています。 埋め立てられたということは、港が必要なくなったということですが、その理由は一体何だったのでしょうか。 そこで、今回の記事では、伏見港の発展と衰退の歴史について紹介したいと思います。
京都市上京区の西陣に雨宝院(うほういん)というお寺があります。 堀川上立売を西に5分ほど歩いた場所に建っているのですが、それほど大きなお寺ではありません。 なので、観光客の方があまり足を運ばないように思ったのですが、境内には写真撮影についての注意事項が書かれた紙が貼られいることから、意外と人気のあるお寺のようです。
鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。 いずれも武家の棟梁が築いた政治体制で、征夷大将軍になったのは全て源氏です。 源氏といえば、坂東武者というイメージが強いので、鎌倉幕府や江戸幕府のように政治の中心を関東に置いたことは当然のことだと思います。 しかし、室町幕府は関東ではなく、京都を政治の中心としました。 足利尊氏が京都に幕府をつくったことで、北山文化や東山文化が開花し、そのおかげで今日、金閣寺や銀閣寺に観光に行けるのですから、感謝しなければなりませんね。 ところで、室町幕府の史跡を観たことがあるでしょうか。 江戸城のように大きなものが存在していても良さそうなのです...
小倉あんは、日本人なら誰もが一度は口にしたことがある食べ物ではないでしょうか。 俗にアンコと呼ばれている小倉あん。 日本で誕生したというのは、なんとなくわかりますが、いつ頃、どこで作られたのかと尋ねられて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。 実は、小倉あんの発祥の地は京都です。 それも観光地として賑わっている嵯峨野なのです。
前回の記事では、京都観光の定番コースのきぬかけの道から少し離れた等持院を紹介しました。 今回の記事は、その続きというか、きぬかけの道沿いの仁和寺の拝観を終えた後に時間が余っていたら訪れてみたい3つの寺社を紹介したいと思います。
金閣寺の前のきぬかけの道から西に歩くと龍安寺、仁和寺へと行くことができます。 近くに3つも世界遺産があることから、きぬかけの道は、京都観光の定番コースとされています。 そして、多くの観光客の方は、上記の3つのお寺を拝観するとバスに乗って帰っていきます。 しかし、きぬかけの道に来たのなら、もうひとつ観ておきたいお寺があります。 そのお寺は、龍安寺から南東に10分ほど歩いたところに建つ等持院(とうじいん)です。
以前、京都市山科区の勧修寺(かじゅうじ)に訪れたのですが、門の近くに大きな看板があり、そこには宮道神社(みやじじんじゃ)と八幡宮への矢印が記されていました。 この矢印を見ていると、勧修寺の拝観後は、両神社にもお参りをしないといけないように感じます。 ということで、両神社にお参りをしに行くことに。
京都市上京区には、京都御苑があります。 京都御苑と京都御所は同じものだと思っている方も多いようですが、正確には、京都御苑という敷地の中に京都御所があります。 なので、京都御苑内には京都御所だけが存在しているわけではありません。 他にも庭園や神社など様々なものが京都御苑にはあります。 そこで、今回の記事では京都御苑にある4つの神社を紹介したいと思います。
京都市北区に天寧寺というお寺が建っています。 最寄駅は地下鉄鞍馬口駅で、東に5分ほど歩くと到着します。 天寧寺は、それほど大きなお寺ではなく、また観光寺院でもありません。 なので、京都観光で天寧寺に訪れる方は、あまりいらっしゃらないと思います。 そんな観光とは関係のなさそうな天寧寺ですが、ここには一度は観ておきたい景色があります。
真夏の最高気温が35度を記録する猛暑の中、京都御苑内にある茶室の拾翠亭(しゅうすいてい)に行ってきました。 この時期になると拾翠亭では、サルスベリが見頃を迎えます。