五條天神宮の境内を南北に貫いた通り
京都市下京区の四条烏丸から南西に少し歩いたあたりに五條天神宮という神社が建っています。 五條天神宮は、義経記(ぎけいき)によると、牛若丸と弁慶が出会った神社ということになっているので、歴史好きの方ならご存知かもしれませんね。 現在は、周囲をビルに囲まれて境内は狭くなっていますが、昔は広い寺域を有していたそうです。 でも、その広い敷地が都市開発に邪魔になったことから、境内を南北に貫く通りが造られました。
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京都市下京区の四条烏丸から南西に少し歩いたあたりに五條天神宮という神社が建っています。 五條天神宮は、義経記(ぎけいき)によると、牛若丸と弁慶が出会った神社ということになっているので、歴史好きの方ならご存知かもしれませんね。 現在は、周囲をビルに囲まれて境内は狭くなっていますが、昔は広い寺域を有していたそうです。 でも、その広い敷地が都市開発に邪魔になったことから、境内を南北に貫く通りが造られました。
京都市内には、他の地域では見ない住所の表記があります。 きっと、遠方から京都にお越しになった方は、この住所表記を初めてみた時、戸惑ったのではないでしょうか。 その住所表記とは、「上ル(あがる)」「下ル(さがる)」「入ル(いる)」です。 京都府民でも、京都市内に住んでいなければ、これらの表記を見ただけでは、どのあたりのことなのかピンと来ないのですが、意味を覚えてしまうと、この住所表記の方が一般的な表記よりも便利に思えるんですよね。
祇園という地名を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。 京都の花街であるとか、舞妓さんがいるとか、お金持ちが遊びに行くところとか、そういった遊興の場所といった印象がありますよね。 京都観光で東山に訪れた時も、休憩は祇園のお店を選ぶことが多いのではないでしょうか。 ところで、祇園という地名はなぜ付いたかご存知ですか。 実は、祇園の名は、現代人が抱いている印象とは全く違った意味で付けられたんですよね。
京都には、難読地名がたくさんあります。 蛸薬師(たこやくし)を一見して読める方は、なかなかの京都通と言えるのではないでしょうか。 でも、京都通の方でも、化野をすぐに読める方となると、その数は、かなり減りそうです。 「ばけの」や「かの」、「けの」と読んでしまいそうですが、化野と書いて「あだしの」と読むのが正解です。 化野は、京都市右京区の嵯峨野の北にある地名です。 いったい、なぜ、このような変わった名がついたのでしょうか。
京都市中京区に北は三条通から南は四条通まで続く新京極通があります。 新京極通はアーケードとなっているので、雨の日でも傘をささずに歩くことができます。 また、お土産物屋さんをはじめ、様々なお店が軒を連ねているので、修学旅行生や若者の姿がとても多い通りですね。 ところで、新京極通がなぜこのような名称になったかご存知でしょうか。 京都の通りの名称は、古くから使われているものが多いのですが、新京極通は、明治時代になってできた比較的新しい通りなんですよね。
平安京は、四神相応の地に造営された都です。 四神相応の地というのは、北に玄武、東に青竜、南に朱雀、西に白虎という四方を守る神がいる地形のことです。 これを平安京に当てはめると、北は船岡山、東は鴨川、南は巨椋池(おぐらいけ)、西は山陰道に囲まれており、まさに四神相応の地だったわけです。 そして、平安京の中心をなす大内裏(だいだいり)の位置は、風水の思想によって決定されたといわれています。
木津川にかかる流れ橋が、2013年9月の台風で流されてしまいました。 これで5年連続の流失です。 流れ橋という名は通称で、正式には上津屋橋(こうづやばし)といいます。 川が増水し、橋桁まで水位が達すると、橋床が流れてしまうことから流れ橋と呼ばれています。 でも、橋床はワイヤーでつながっているので、流されても、水位が下がれば、再び回収することができるので、すぐに修復できます。
地下鉄五条駅を出ると烏丸五条の交差点です。 この交差点の北西の角に悪王子町という町名が残っています。 また、五条駅からひとつ北にある四条駅の東には、元悪王子町という地名も残っています。 悪王子町と元悪王子町。 何か関係があるのでしょうか?
2013年9月15日の夜から16日の朝にかけて京都を襲った台風による豪雨は、各地に大きな爪痕を残していきました。 嵐山を流れる桂川や京都市中心部を流れる鴨川が普段では考えられないほど水位が上昇。 特に嵐山は渡月橋付近が大洪水になり、周辺の旅館やお店、住宅が多数浸水しました。 他にも京都府北部の福知山でも由良川が氾濫し、大きな被害が出ました。 テレビのニュースでは、あまり採り上げられてはいませんでしたが、八幡市も浸水の被害が出ており、桂川、宇治川、木津川もあり得ないほど水位が上昇していました。
京都には、不思議な町名がいくつもあります。 どうしてこのような変わった町名にしているのかと思ってしまいますが、調べてみれば、いろいろと理由があるんですよね。 京都市上京区にも変わった町名がいくつもあります。 如水町(にょすいちょう)、甲斐守町(かいのかみちょう)などですが、これらの町名は、豊臣秀吉がこの辺りに造営した聚楽第と関係があります。