京都市上京区に建つ白峯神宮は、もともとは和歌の宗家飛鳥井家の邸宅があった場所です。
明治元年(1868年)に明治天皇が、保元の乱で流罪となった崇徳天皇の神霊を迎えて創建したのが現在の白峯神宮です。
この白峯神宮の境内には、蹴鞠の神さまである「精大明神」を祀る地主社(じしゅしゃ)があり、以前は飛鳥井家の守護神でした。
千日の鞠に挑戦した藤原成通
白峯神宮は、地下鉄今出川駅から西に5分ほど歩いた辺りに建っています。
境内には、蹴鞠行事で使われる鞠庭も整備されていますよ。
蹴鞠は古くから貴族の間で行われており、飛鳥時代には中大兄皇子が中臣鎌足と蹴鞠で親密になり、大化の改新につながったとも言われています。
鎌倉時代には武士にも普及し、江戸時代には庶民も蹴鞠をするようになっていたとか。
娯楽はどれもそうですが、流行するとその道のプロが現れます。
当然、蹴鞠の世界にもプロが現れます。
それは、平安時代末期の大納言であった藤原成通(ふじわらのなりみち)です。
成通は、清水寺の欄干を鞠を蹴りながら何度も往復したと伝えられています。
本当なのかどうかわかりませんが、このような伝説が残っているということは、藤原成通が相当な蹴鞠の達人であったことが想像できます。
ある時、成通は、蹴鞠の上達のために千日の鞠に挑戦します。
いよいよ満願の日の夜となり、成通が目を覚ますと、蹴鞠の精が現れました。
顔は人間でありながら手足は猿。
その人間なのか猿なのか得体の知れない生き物は3匹おり、成通に自分たちの名を呼べば参上して力になると言いました。
3匹の名は、「アリ」「オウ」「ヤア」です。
そう、現在の蹴鞠の時の掛け声は、蹴鞠の精の名を呼んでいるんですね。
蹴鞠道を確立させた飛鳥井雅経は、藤原成通の孫にあたります。
その飛鳥井家の邸宅跡とされる白峯神宮の境内には、蹴鞠の碑があります。
日本の歴史の中で長く続いてきた蹴鞠。
これからも白峯神宮とともに蹴鞠の文化は継承されていきそうですね。
現在では、蹴鞠をする人はそれほどいませんが、下鴨神社の行事などで見ることがあります。
また、白峯神宮は蹴鞠の神様を祀っていることから、最近はサッカー選手やそのファンの方の参拝も増えています。
本殿には、サッカー選手が奉納した品々もあるので、サッカー好きの方なら、白峯神宮に興味深く参拝できますよ。
また、サッカーの国際大会が近付くと、参拝者が増えるのも白峯神宮の特徴です。
なお、白峯神宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。