新日吉神宮の飛梅天満宮前で見ごろを迎えた背が低い梅・2020年
2月下旬に京都市東山区の智積院に梅を見に行った後、そこから東に5分ほど歩き新日吉神宮(いまひえじんぐう)に参拝しました。 新日吉神宮の境内には、飛梅天満宮があり、その前に数本の梅が植えられています。 まだ梅はどれも背が低いのですが、これからの生長がとても楽しみです。
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2月下旬に京都市東山区の智積院に梅を見に行った後、そこから東に5分ほど歩き新日吉神宮(いまひえじんぐう)に参拝しました。 新日吉神宮の境内には、飛梅天満宮があり、その前に数本の梅が植えられています。 まだ梅はどれも背が低いのですが、これからの生長がとても楽しみです。
2月下旬に京都市東山区の法住寺に参拝しました。 この時期の法住寺では、梅が花を咲かせます。 梅の木は数本しかありませんが、満開になると冬の境内が華やかになりますね。
2月下旬に京都市東山区の妙法院に参拝しました。 妙法院は、天台宗の三門跡寺院に数えられる格式の高いお寺なのですが、誰でもお参りできます。 でも、普段は建物の中に入ることはできませんけどね。 これまで、妙法院には何度も参拝していますが、2月に訪れたことはなかったような気がするので、お参りして行くことにしました。
2月下旬。 京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)に参拝しました。 智積院の境内には、多くの梅が植えられており、2月中旬から3月中旬にかけて、きれいに花を咲かせます。 でも、智積院が梅の名所であることは、あまり知られておらず、観梅に訪れる人は少な目です。
京都市上京区に廬山寺(ろざんじ)というお寺があります。 廬山寺の境内の東には、光格天皇の父である慶光天皇(きょうこうてんのう)の陵があります。 光格天皇が即位したのは江戸時代後期のこと。 光格天皇の前の天皇は後桃園天皇だったのですが、後桃園天皇には男子がいませんでした。 そのため、後桃園天皇が崩御した後は、慶光天皇の男子であった光格天皇が即位することになりました。
京都の街を歩いていると、偶然、石碑を発見することがあります。 先日も、京都市上京区の新烏丸通を南に向かって歩いていると、建物の片隅に「嶋村俊一邸跡」と刻まれた石碑を発見しました。 嶋村俊一とは、聞いたことない名ですが、石碑が建立されているのですから、きっと有名な人物なのでしょう。
京都市上京区の京都御所は、平安京ができてから、ずっと同じ場所にあり続けているわけではありません。 平安京の大内裏(だいだいり)は、現在の京都御所よりも西の二条城が建つ辺りにあったのですが、何度も火災に遭い再建されなくなりました。 京都御所が現在地に定まったのは元弘元年(1331年)のことで、仮の内裏とされていた土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)で光厳天皇が即位して以降、明治2年(1869年)まで、天皇の住いとして使用されてきました。 したがって、現在の京都御所は平安時代の大内裏とは違います。 でも、現在の京都御所は、平安時代の印象を残しています。
2月中旬に京都市伏見区の京都競馬場に梅を見に行った後、近くの與杼神社(よどじんじゃ/与杼神社)に参拝しました。 與杼神社は、京阪電車の淀駅からすぐの場所に建つ交通至便の神社ですが、参拝する人は少な目です。 私が訪れた日は、雨が降っていたこともあり、境内はほとんど無人でした。
2月中旬に京都市伏見区の京都競馬場に梅を見に行ってきました。 京都競馬場は、レース前の競走馬が周回するパドックの近くに梅が植えられているのですが、あまり知っている人はいません。 競馬場に入場できるのは、土曜日と日曜日だけですが、梅を見に訪れる人はほとんどいないので心行くまで観梅を楽しめます。
2月中旬。 京都市伏見区の淀水路を訪れました。 淀水路では、毎年3月になると水路脇に植えられたたくさんの河津桜が満開になります。 近年、一足早く桜を楽しめる名所として人気が出ており、3月中旬には、お花見を目的に訪れる人が多くなっていますね。 2020年は暖冬ということもあり、そろそろ河津桜が咲いているのではないかと思い、例年よりも早めに開花状況を確認してきました。