鳥羽伏見の戦いで野戦病院になった長円寺
慶応4年(1868年)1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いは、薩長を中心とする新政府軍が錦の御旗を掲げたことで、旧幕府軍は混乱し潰走することになりました。 会津藩や新撰組などの旧幕府軍は、南に退き、淀城に入って抗戦することを決定しましたが、淀藩が旧幕府軍の入城を拒んだため、八幡市の男山や橋本まで撤退することにしました。 そして、鳥羽伏見と淀で新政府軍に敗れた旧幕府軍の負傷者は、淀の長円寺に運ばれ治療を受けました。
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慶応4年(1868年)1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いは、薩長を中心とする新政府軍が錦の御旗を掲げたことで、旧幕府軍は混乱し潰走することになりました。 会津藩や新撰組などの旧幕府軍は、南に退き、淀城に入って抗戦することを決定しましたが、淀藩が旧幕府軍の入城を拒んだため、八幡市の男山や橋本まで撤退することにしました。 そして、鳥羽伏見と淀で新政府軍に敗れた旧幕府軍の負傷者は、淀の長円寺に運ばれ治療を受けました。
7月下旬。 京都市左京区の檀王法林寺(だんのうほうりんじ)に参拝しました。 たくさんの人が行き交う三条大橋の東に建つ檀王法林寺ですが、いつ訪れても人が少ないです。 山門が小さめなので、気づきにくいというのもあるのでしょう。 檀王法林寺は、有名なお寺ではありませんが、近くを通りかかった時には、ついお参りをしていきたくなりますね。
7月下旬。 京都市東山区に建つ恵美須神社に参拝しました。 恵美須神社は、1月の十日ゑびすに多くの参拝者が訪れ、境内がとても賑わいます。 でも、普段は参拝する人が少な目で、境内が混雑することはありません。 特に夏は、京都を訪れる旅行者や観光客の方が少なくなるので、有名な観光名所でも人が少なくなりますね。
8月10日に京の七夕の協賛神社となっている晴明神社の夜間拝観に行った後、京の七夕の北野紙屋川エリアを訪れました。 北野紙屋川エリアは、北野天満宮とその周辺が会場となっており、境内と御土居がライトアップされるなど、様々な催しが用意されています。 北野紙屋川エリアの京の七夕の開催期間は、8月10日から12日と16日から18日です。
8月10日に京の七夕の堀川かがり火のみちを歩いた後、晴明神社に参拝しました。 晴明神社は、京の七夕の協賛神社となっており、8月10日から12日まで夜間拝観が実施されています。 時間は午後6時から午後9時までです。
毎年、旧暦の七夕の時期に合わせて開催される京の七夕。 会場は全部で5つあり、8月10日から12日までは、堀川エリアで「堀川かがり火のみち」を歩くことができます。 堀川は、京の七夕が始まった時から会場として使われており、京の七夕と言えば堀川を連想する人もいることでしょう。 私は、8月10日に堀川かがり火のみちを歩いてきたので、今回は、その様子をお伝えします。
8月7日。 京都市東山区の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)を訪れました。 この時期の六波羅蜜寺の周辺は、五条坂の陶器市や六道まいりで賑わいます。 六波羅蜜寺でも、8月8日から10日まで萬燈会(まんとうえ)が催されますね。
8月7日。 京都市東山区の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)に参拝しました。 京都では、毎年、盂蘭盆(うらぼん)の時期に先祖の霊を迎える「お精霊迎え(おしょうりょうむかえ)」の行事が各家で行われます。 六道珍皇寺でも、8月7日から10日まで、六道まいりと呼ばれるお精霊迎えの行事が行われ、朝から夜まで多くの方がお参りに訪れます。
7月下旬の夕方。 京都市東山区の建仁寺を訪れました。 建仁寺は、祇園の近くにあり交通の便が良いことから、1年を通して参拝する機会が多いです。 ただ、夏の夕方に建仁寺を訪れることは滅多にないですね。
8月3日に梅小路エリアの京の七夕を見た後、鴨川エリアに向かいました。 鴨川エリアは、京の七夕が始まった時から、ずっと会場として使われています。 例年だと、1週間程度は開催されてるのですが、今年の鴨川エリアは8月3日と4日の2日間だけと規模が縮小されています。