2月中旬に京都市伏見区に建つ乃木神社に参拝した後、近くにある明治天皇伏見桃山陵(めいじてんのうふしみのももやまのみささぎ)にも訪れました。
明治時代になって首都が京都から東京に遷されたのに明治天皇の陵が、京都にあるのは、きっと明治天皇が京都を愛していたからなのでしょうね。
大きな陵
明治天皇伏見桃山陵は、JR桃山駅から北に徒歩約15分の場所にあります。
近鉄電車の桃山御陵前駅と京阪電車の伏見桃山駅からだと、東に徒歩約15分ですね。
今回は乃木神社の参拝後だったので、乃木神社の近くから明治天皇伏見桃山陵の参道に入りました。
乃木神社に祀られている乃木希典(のぎまれすけ)は、明治天皇が崩御された後、殉死したほど明治天皇を慕っていました。
明治天皇の陵墓の近くに乃木神社が建立された理由がよくわかります。
砂利道になっている参道をゆっくりと歩きます。
時折、ランニングをしている方の姿を見かけますが、参道を歩いている人はほとんどいません。
とても静かな参道であります。
木々に囲まれた参道を抜ければ、明治天皇の陵はすぐそこです。
そして、陵墓の前にやってきました。
木造りの鳥居の手前には柵があるので、これ以上は近づけません。
明治天皇伏見桃山陵は、東西127メートル、南北155メートルもの広さがあります。
実際に見ると広大さに驚きますよ。
これほど大きな天皇陵は、それほど多くないはずです。
他に思いつく大きな天皇陵は、仁徳天皇陵ですかね。
明治天皇の陵は南を向いています。
陵の南側には約230段の石段。
この石段を登ると、とてもしんどいです。
晴れた日に眺める伏見の街、その向こうに広がる平野も見事です。
かつてここには、豊臣秀吉が築いた伏見城がありました。
きっと、伏見城の天守閣からの眺めも見事だったのでしょうね。
石段の近くには手水鉢が設置されていますよ。
名水が湧く伏見らしく、流れている水が清らかです。
昭憲皇太后伏見桃山陵
明治天皇伏見桃山陵の東側に緩やかな下り坂となっている参道があります。
この参道を下りていくと、明治天皇の皇后の昭憲皇太后の陵があります。
明治天皇の陵の東側にある昭憲皇太后の陵は、昭憲皇太后伏見桃山東陵(しょうけんこうたいごうふしみのももやまのひがしのみささぎ)といいます。
昭憲皇太后は、大正3年(1914年)に崩御され、明治天皇が眠る伏見桃山の地に陵墓が定められました。
昭憲皇太后と言えば、日露戦争の開戦前、夢枕に坂本竜馬が立ち海軍の守護を約束したという言い伝えが残っていますね。
その夢のとおり、東郷平八郎率いる日本の海軍はロシアの海軍に勝利しました。
広大な昭憲皇太后の陵の上に浮かぶ雲。
静かな空間のためか、時間がゆっくりと流れているように感じましたよ。
伏見に観光に訪れた時には、明治天皇と昭憲皇太后の陵にもぜひ参拝してください。