2015年09月03日一覧

河原町の由来となった源融の河原院跡

平安時代、嵯峨天皇の皇子であった源融(みなもとのとおる)は、源氏物語の光源氏のモデルと言われています。 光源氏のモデルですから、当然、源融は貴族であり、宇治に別荘を持つほど優雅な暮らしをしていました。 しかし、摂政の藤原基経の力が強くなったことで、源融は隠棲することになり、鴨川の近くに河原院(かわらのいん)という邸宅に住むことになります。