北野天満宮から南に10分ほど歩いた辺りに茅葺屋根の古風な建物が建っています。
京都が1200年の歴史を持つ都市とは言え、北野天満宮がある京都市上京区は近代化が進んでいるので、あまり古びた建物が街中に建っていることはありません。
京都市街で、そのような古びた建物を見つけた時は、多くの場合、京都市の有形文化財に指定されています。
江戸時代初期から続く長屋門
京都市上京区の街中で見つけた茅葺屋根の建物は、奥渓(おくたに)家住宅の長屋門です。
奥渓家は聞きなれない氏ですが、戦国時代のキリシタン大名大友宗麟(おおともそうりん)の嫡男義統(よしむね)の次男に始まると伝えられていますので、由緒正しい家柄のようです。
長屋門前にあった説明書によると、奥渓家の由緒書に元和6年(1620年)の東福門院入内に際して供として上洛し、その当時の居宅は一条烏丸角にあったそうです。
東福門院は、徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮になった女性ですね。
その東福門の没後、奥渓家は別宅であった現在地に移って来たとか。
また、奥渓家は、代々医家で、第4代から7代までは仁和寺門跡の御典医を勤めていました。
この落ち着きのある茅葺屋根を持つ長屋門は、享保9年(1724年)に焼失して2年後に再建されたものです。
よく上京区の街中にこのような歴史ある建物が残っているなと感心しますね。
でも、再建後、ずっと同じ姿をとどめているわけではなく、戦後に南三間が取り壊されるなど多少の変更があったそうです。
それでも、萱葺屋根の建物が街中に残っているのは貴重なことです。
京都が歴史のある街とは言え、街中でこのような建物をなかなか見かけることはないですね。
他にも奥渓家住宅には主屋があります。
主屋は、複雑な平面構成をしていますが、基本的には東西棟の台所と書斎部分の南側に、玄関と座敷棟が突出した形になっているそうです。
式台付きの本玄関、中玄関、玄関、台所大戸口と、出入り口が多いのも特徴だとか。
造営年代は、寛文6年(1666年)から正徳6年(1716年)の間に建てられた台所部分を原型に増改築が繰り返され、幕末頃にほぼ現在の姿になったと考えられています。
奥渓家住宅は非公開なので、中に入ることはできません。
でも、外から茅葺屋根の長屋門を見ることができるので、近くを通りかかった時には、じっくりと味わうように眺めたいですね。
年季の入った建物なので、地震などで倒壊しないことを祈ります。