黒田節誕生の地・御香宮神社

福岡県の民謡で、酒席には欠かせない名歌として地元の人々に親しまれている黒田節。

黒田節は、貝原益軒(かいばらえきけん)が著した「黒田家臣伝」の母里但馬伝(もりたじまでん)に登場する逸話が元になっています。

その逸話が生まれた場所は現在の京都市伏見区で、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)が建つ辺りです。

大杯の酒を飲み干した母里太兵衛

伏見の桃山の地には、福島正則の屋敷がありました。

福島正則は豊臣秀吉に子供の頃から可愛がられていた武将で、大酒のみで気性の荒い大名として有名です。

その福島正則の屋敷に黒田家に仕える母里太兵衛が招かれます。

正則は、太兵衛に大きな鉢を杯に見たて、それになみなみと注いだ酒を飲むようにすすめました。

しかし、太兵衛は、あまりの大きさに断ります。

そこで、正則は、酒を飲み干したら望みの品を与えると太兵衛に言います。

すると、太兵衛は、部屋にあった立派な槍を見て、あれをもらえるのなら酒を飲み干してみせると答えました。

酒に酔っていた正則は、その勢いで太兵衛の申し出を承知します。

大杯に注がれた酒を見事飲み干した母里太兵衛。

約束どおり、福島正則の屋敷にあった槍を持ち帰りました。

太兵衛が持ち帰った槍は、実は、福島正則が豊臣秀吉から賜った大事な品でした。

だから、正則は何度も太兵衛に槍を返してほしいと頼みましたが、結局、槍は戻ってきませんでした。

この名槍は「日本号」といい、別名を「呑み取りの槍」ともいいます。

現在、呑み取りの槍は福岡市博物館に収められています。

福島正則の屋敷があった辺りにある御香宮神社の南に建っている表門は、伏見城の遺構と伝えられています。

御香宮神社の表門

御香宮神社の表門

堂々と建つ表門を見ていると、この門を戦国武将たちが何度も行き来したのだろうなと感慨にふけってしまいます。

母里太兵衛も、この門をくぐったことがあるかもしれませんね。

黒田節の歌詞の逸話が、京都を代表する酒造の地である伏見で生まれたというのは非常に興味深いですね。

もしかしたら、伏見の名酒だったからこそ、母里太兵衛は大杯の酒を飲み干すことができたのかもしれません。

美味しくない酒を鉢になみなみと注がれていたら、結果はまた違ったものになっていたのでしょうか。

ちなみに御香宮神社からは御香水と呼ばれている名水が湧き出しており、参拝者は自由に汲めるようになっています。

また、伏見の酒蔵でも、御香水と同じ水脈の地下水を使って日本酒を作っているところもあります。

母里太兵衛が飲み干した酒も、おそらく、伏見の名水で作った酒だったことでしょう。

なお、御香宮神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。