京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)には、展望台があります。
石清水八幡宮が鎮座する男山は、京都市の南の方角にあり、展望台は山の北側に設けられています。
この展望台の一角に谷崎潤一郎文学碑が置かれています。
谷崎潤一郎の小説の舞台となった男山
下の写真に写っているのが、谷崎潤一郎文学碑です。
この碑の序幕は、昭和61年(1986年)7月24日で、谷崎潤一郎生誕100年にあたります。
谷崎潤一郎は、日本の近代文学を代表する小説家なので、その名をご存知の方も多いことでしょう。
石碑の説明書によると、谷崎潤一郎は、関東大震災を契機に関西に引っ越し、その風土と伝統文化に魅せられて、純日本的、古典的なものを主題とする作品を多数発表したそうです。
碑文には、蘆刈抄の一文が刻まれています。
わたしの乗った船が洲へ漕ぎ寄せたとき男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ、まだどこやら夕ばえの色が残ってる中空に暗く濃く黒ずみわたってゐた
碑文の字は、昭和8年に刊行された潤一郎自筆本によるものだとか。
小説の舞台は、大山崎町から八幡市の橋本へ渡る淀川の中州です。
男山と月の描写は小説のもつ夢幻能の効果が考えられているとのこと。
男山の麓を流れる放生川は、美しい月が見れる名所と伝えられています。
もしかしたら、谷崎潤一郎も、八幡の名月を見たかもしれませんね。
谷崎潤一郎文学碑の付近からの眺め。
正面の奥は、嵐山や高雄がある辺りですね。
手前に見える橋は御幸橋で、木津川と宇治川に架かっています。
北の方角に目をやると、京阪電車の鉄橋が見えます。
その奥には、京都タワーも見えるのですが、写真だと小さくてわかりにくいですね。
空気が澄んでいると、もっとはっきりと見えるのですが。
谷崎潤一郎が、男山を舞台に小説を書いた頃は、まだ自然の景色が多く残っていたことでしょう。
でも、彼が生きていた頃と現代で、京都市内の景色は、それほど変わってなさそうですね。
京都市内は、背の高い建物が少ないので、遠くから眺める景色が大きく変化することはなさそうですが、景観を守ろうという意識が無くなれば、あっという間にこの景色も失われてしまうことでしょう。
谷崎潤一郎ファンの方は、一度、石清水八幡宮の展望台を訪れてみてはいかがでしょうか。
小説の中の世界が、より鮮明になるかもしれませんよ。