四条河原で討ち死にした北条時益
久我畷の戦いで名越高家を討ち取った赤松円心の軍勢は、その後、足利高氏、千種忠顕(ちぐさただあき)とともに3方向から六波羅探題を攻撃します。 六波羅探題にとっては、味方だと信じていた足利高氏が裏切ったことで、劣勢となります。 元弘3年(1333年)5月6日。 足利高氏の裏切りを知った京都市民は、都が戦場になることを恐れて逃げまどい、町は混乱していました。
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久我畷の戦いで名越高家を討ち取った赤松円心の軍勢は、その後、足利高氏、千種忠顕(ちぐさただあき)とともに3方向から六波羅探題を攻撃します。 六波羅探題にとっては、味方だと信じていた足利高氏が裏切ったことで、劣勢となります。 元弘3年(1333年)5月6日。 足利高氏の裏切りを知った京都市民は、都が戦場になることを恐れて逃げまどい、町は混乱していました。