日本の大泥棒を想像した時にすぐに思いつくのは、ねずみ小僧と石川五右衛門ではないでしょうか。
ルパン三世という意見もありそうですが、歴史の舞台に登場するのは上記2人ですね。
このうち京都と関係があるのが石川五右衛門です。
石川五右衛門は実在したのか
石川五右衛門は、テレビドラマでも出てくることがあるので、ご存知の方も多いことでしょう。
ドラマの中では、金持ちや権力者からしか物を盗まない、いわゆる義賊という設定になっている場合が多く、最後は豊臣秀吉のもとに盗みに入って捕まり、三条河原で釜茹での刑にされてしまいます。
こういう物語だと、石川五右衛門は創作で、実在しなかったように思いますよね。
でも、どうやら彼は実在していたようです。
石川五右衛門が実在したことを記す史料はいくつか残っており、その中では、豊臣秀吉によって釜茹での刑にされたとなっています。
ただ、彼の詳しい経歴については、わからないことが多いのですが、盗賊であったことは間違いありません。
大雲院にある石川五右衛門の墓
京都市東山区の大雲院の墓地にある石川五右衛門のお墓も、彼が実在したことを示す証拠と言えますね。
五右衛門が釜茹での刑に処されたのは、文禄3年(1594年)のことです。
目の前にぐつぐつと煮えたぎる釜が用意されると、彼は以下の辞世の句を残し、その中に入っていったと伝えられています。
石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ
五右衛門がゆでられた釜は、中にお湯が入っていたのではなく油が入っていたとも言われています。
煮えたぎる油に自ら入っていった石川五右衛門。
事実なのか創作なのかはわかりませんが、このように伝えられているということは、彼が大泥棒であったからなのかもしれませんし、また、当時の人々に人気があったということなのかもしれません。
ドラマの中で登場する石川五右衛門で印象深いのが、NHKの大河ドラマ「秀吉」に登場した石川五右衛門ですね。
ドラマの設定では、五右衛門は秀吉と幼なじみだったのですが、とんとん拍子に出世していく秀吉とは正反対にいつまでたっても出世できない彼は、やがて盗賊となります。
その後、秀吉は天下を統一し、派手な暮らしをしたり、朝鮮に出兵したりと、傲慢な性格へと変わっていきます。
それを見ておもしろく思わない五右衛門が、秀吉に一泡吹かせてやろうと彼のもとに盗みに入ります。
盗みが発覚した後、秀吉は幼なじみの五右衛門を容赦なく釜茹での刑にし、五右衛門は最期を迎えます。
この場面を見たことがある方は、いろいろと考えさせられるところがあったことでしょう。
石川五右衛門というと、南禅寺の三門に上り、「絶景かな」といったと伝えられています。
ただ、五右衛門が生きていた頃は、南禅寺の三門はなかったので、これは明らかに創作なのですが。
彼のお墓があるところから空を見上げると、絶景を眺めることができる祇園閣が目に入ります。
大雲院は、近年に東山に移転してきました。
その時にはすでに祇園閣がこの地に建っていました。
絶景が見れる祇園閣の真下に石川五右衛門のお墓を置いたことには、何か理由がありそうな気がしますね。
なお、大雲院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。