京都市中京区の京都市役所周辺は、ビジネス街ということもあって近代的なビルがいくつも建っています。
この辺りを観光で訪れたことがある方なら、あまり京都らしい景色ではないと感じたことでしょう。
ところが、こういった場所でもビルとビルの隙間に想像してなかったようなお寺や神社がひっそりと建っていることがあります。
今回の記事で紹介する法雲寺もそのひとつです。
四方をビルに囲まれた本堂
地下鉄京都市役所前駅から河原町通を北上して、河原町二条の交差点を過ぎたあたりのビルとビルの間に法雲寺の入口があります。
「法雲寺」と刻まれた石柱から山門まで50メートルほどはあるでしょうか。
もしもこの石柱がなければ、通り過ぎていたことでしょう。
長い参道を進み山門をくぐると、公園ほどの広さの境内に入ります。
四方をビルで囲まれた境内の中心に建つ本堂が不自然に感じますね。
不自然に感じると言っても、最初に建てられたのは法雲寺で、その後に近代的な建物が次々と建ち、このような違和感のある景色になったわけですが。
由緒書によると、法雲寺は、永禄10年(1567年)に源蓮社清善が草庵を結んだのが始まりで、元和元年(1615年)に清久が堂宇を建立したと伝えられています。
上の写真に写っている本堂は文化15年(1818年)の再建で、本尊の阿弥陀如来像を祀っているとのこと。
何気なく通りかかったのも何かの縁なので、お参りしておきました。
平安時代の清泉の跡
本堂にお参りした後、少しばかり境内を散策することに。
境内の隅に「清水」と刻まれた石碑を発見。
実は、法雲寺が建っている?場所は、平安時代に関白太政大臣の藤原兼家の二条第が建っていた地です。
正暦元年(990年)に法興院というお寺に改められましたが、たびたび火災にあって焼失し廃絶しました。
法雲寺が建てられたときには、法興院の治水の跡と思われる清泉のみが残っていたそうです。
上の写真に写っている石碑は、この清泉の跡を示したものだと思いますが、刻まれた文字が達筆すぎて読むことができませんでした。
縁切り縁結びの菊野大明神
他に境内に建つ庫裡(くり)の東には菊野大明神が祀られています。
私が訪れた時は、どこにあるのかわからなかったので、お参りはしませんでした。
菊野大明神は、良縁を結び、悪縁を断ち切ると信仰されているそうです。
次回、法雲寺に訪れる機会があれば、お参りしておきます。
なお、法雲寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。