京都を歩いていると何気ない場所に史跡を発見することがあります。
多くの場合、石碑が置かれており、その近くに説明書が立っていますね。
かなり昔から置かれている石碑は、何度も見たことがあるので、それほどじっくりと見ることはないのですが、新しく置かれた石碑は、ついつい足を止めてじっくりと見てしまいます。
最近発見した史跡の中では、中京区の寺町通沿いに置かれた「本因坊発祥の地」が、なかなか興味深かったですね。
本因坊の歴史
安土桃山時代、寂光寺の塔頭(たっちゅう)の本因坊に日海というお坊さんが住んでいました。
日海は、非常に囲碁が強く、江戸時代になると徳川家康の命によって、寺を弟子に譲り、本因坊算砂(さんさ)と改名して、江戸幕府の碁所(ごどころ)を任されることになります。
算砂以降、本因坊の名は世襲されていきました。
しかし、21世の秀哉(しゅうさい)が、本因坊の名は真の囲碁の実力者が名乗るべきと考え、その名跡(みょうせき)を日本碁院に譲渡します。
そして、昭和11年(1936年)に本因坊戦が誕生したそうです。
ここまでいろいろと書いてきましたが、私は囲碁のことは全くわかりません。
なので、本因坊の詳細についてはWikipediaをご覧になってください。
囲碁ができる石碑
下の写真は、本因坊発祥の地の石碑です。
以前は、こんな石碑はなかったように思います。
中央の石に書かれた日付は、平成21年1月10日となっているので、やはり最近置かれたもののようです。
さらに『「本因坊旧跡駒札」建立記念打ち初め式』と書かれており、中央には大きな文字で「九段 今村俊也」、「九段 滝口政季」と書かれています。
この3つの石を上から見ると真ん中の石が碁盤になっているのに気付きました。
もしかして、『「本因坊旧跡駒札」建立記念打ち初め式』は、両九段によって、この石碑で囲碁の対戦が行われたということなのでしょうか?
これについては、いろいろと検索して見たのですが、全く情報を得ることができませんでした。
それにしても、囲碁ができる史跡なんてここにしかないのではないでしょうか。
囲碁ができる方は、本因坊発祥の地で、一度打ってみてもいいですね。
注目されること間違いないですよ。
その際は車に足を踏まれないように注意してください。
私も機会があれば、五目並べでもしてみたいですね。