「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」で始まる方丈記の作者と言えば、鴨長明ですよね。
その鴨長明が使っていた移動式住宅の方丈が下鴨神社の摂社である河合神社に置かれています。
鴨長明と河合神社
鴨長明は、久寿2年(1155年)に河合神社に仕える禰宜(ねぎ)の鴨長継の次男として生まれました。
長明は、子供のころから学問に優れており和歌にも才能があったことから、後に後鳥羽上皇からその才能を認められ、建仁元年(1201年)に御和歌所の寄人(よりゅうど)に任じられます。
また、一時期、北面の武士として院の警護にも就いていました。
このように長明は、文武に秀でた人物だったわけです。
長明は、父の死後に河合神社を継ぐつもりでいました。
しかし、賀茂社の鴨祐兼(かものすけかね)が自分の長男を河合神社の後継ぎにしたいがために、賀茂大神のお告げがあったと嘘をつき、長明が後を継ぐのを妨害します。
その後、長明は、全ての職から身を引き、左京区の大原に隠遁したのです。
長明が隠遁した翌年に新古今和歌集に以下の和歌をはじめ10首が採録されています。
石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たずねてぞすむ
この歌の中に出てくる瀬見の小川とは河合神社の東を流れる川のことだそうです。
歌の現代語訳については、「やまとうた 和歌」さんの鴨長明 千人万首のページをご覧ください。
移動式住宅の方丈
長明が方丈記を著したのは隠遁してからのことで、世の無常と人生の儚さをその中で書き綴っています。
その方丈記を書いたのが、移動式住宅の方丈の中だったのです。
下の写真は、長明の方丈を再現したものです。
広さは、1丈(約3メートル)四方で、畳5.5畳分です。
この方丈は組み立て式となっており、どこへでも移動が可能です。
長明も隠遁して最初は大原に住んでいましたが、その後、転々として58歳の時に伏見区の日野町に移り落ち着いています。
その移動の最中に作ったのが、この方丈だったのです。
ちなみに、下鴨神社の本殿も長明の方丈と同じような構造になっているそうです。
そして、長明は、建暦2年(1212年)に日野山で方丈記を著した後、建保4年(1216年)に62歳で亡くなりました。