牛若丸と弁慶出会いの地・五条大橋
平安時代後期、平家が権勢を誇っていた頃、夜な夜な五条の橋に体格の良い荒法師が出没していました。 その荒法師の名は武蔵坊弁慶。
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平安時代後期、平家が権勢を誇っていた頃、夜な夜な五条の橋に体格の良い荒法師が出没していました。 その荒法師の名は武蔵坊弁慶。
毎年4月29日と11月3日に城南宮では、曲水の宴と呼ばれる催しが行われます。 そこで、本日11月3日にこの曲水の宴を観てきましたので、その内容を紹介したいと思います。
京都の町は、歴史の中で、数々の戦乱や火災によって焼失してきました。 その中でも、応仁元年(1467年)から11年間にわたって続いた応仁の乱は、町を焼き尽くし、京都の人々や文化に大きな影響を与えました。 おそらく、京都の焼失の中では応仁の乱が最大規模だったのではないでしょうか。 ところで、この応仁の乱はなぜ起こったのでしょうか? 歴史の教科書でも採りあげられていますが、今一度みていきたいと思います。