豊臣秀吉の朝鮮出兵を今に伝える耳塚
京都市東山区にある京阪電車の清水五条駅から七条駅の間には、豊臣秀吉と関係のある旧跡が多くあります。 以前に紹介した方広寺や豊国神社は、豊臣秀吉と関係があるものですが、その近くにも秀吉と関係の深い耳塚があります。
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京都市東山区にある京阪電車の清水五条駅から七条駅の間には、豊臣秀吉と関係のある旧跡が多くあります。 以前に紹介した方広寺や豊国神社は、豊臣秀吉と関係があるものですが、その近くにも秀吉と関係の深い耳塚があります。
京阪祇園四条駅の四条大橋側の出口の側に女性の像が立っています。 その女性の像は、出雲の阿国(おくに)。 阿国の像がここに立っていることに何か理由があるのでしょうか?
前回の記事では、新撰組の最後の屯所について紹介しましたが、今回も新撰組について少々書いてみたいと思います。 新撰組は、幕末の京都の治安維持に務めた組織だったのですが、この新撰組を有名にした事件が、元治元年(1864年)6月に起こります。 それは、池田屋事件と呼ばれますが、では、この事件はなぜ起こったのでしょうか?
江戸幕府末期、当時の政局は京都で動いていました。 開国か攘夷(外国人を追い払うこと)か。勤王(天皇中心)か佐幕(江戸幕府中心)か。 そんな時代に京都の治安にあたったのが新撰組でした。 新撰組の屯所として有名なのは結成当時の壬生の八木邸ですが、その後、西本願寺に移り、最後の屯所となったのは不動堂村です。
京阪電車の淀駅と言えば、京都競馬場があることで有名です。 京都市の南に位置する伏見区の南端にあるのが淀で、まさに京都市の南端にあたる地域と言えます。 2009年9月に淀駅の大阪方面乗り場と京都競馬場が直結し、淀駅周辺は少しずつ近代的な風景に変わりつつありますが、以前も今も変わらず、このあたりには与杼神社(よどじんじゃ)や淀城跡といった観光スポットが残っています。
京都に関する勘違いに「京都には大仏がある」といったものがあります。 大仏があるのは奈良で、京都には現在、大仏はありません。 京都やその近隣に住んでいる方は、わかっていることなのですが、京都から離れたところにお住まいの方は、意外と奈良と京都について勘違いされることがあるようです。 ただ、京都に大仏があるということも、あながち間違ってはいません。正確には、「京都にも大仏があった」ということになりますが。
京都で天神様と言えば、学問の神様である菅原道真のことを指します。 そして、菅原道真が祀られているのが北野天満宮ということもあって、受験の時期になると多くの受験生が合格祈願に訪れます。 でも、菅原道真を最初に祀ったのが、北野天満宮ではなく文子天満宮(あやこてんまんぐう)であるということは、あまり知られていません。
最終更新日:2023年5月5日 観光や旅行で京都にお出かけの際、多くの方が公共の交通機関を利用されることと思います。 車で京都にお越しの方もいらっしゃるでしょうが、一部の地域を除いて京都は渋滞しやすく、また、名所と名所の間隔が歩いていける距離にあることが多いので駐車場に車を停めて観光するのも少し不便です。 そこで、今回は公共の交通機関で発売されている京都観光にちょっぴりお得な割引チケットを紹介したいと思います。
平安時代後期、近衛天皇の時代に、毎夜、都を騒がす生き物がいました。 その姿は、頭は猿、尾は蛇、手足は虎。当時の人々は、その生き物を鵺(ぬえ)と呼びました。
平安時代の人々は、地震や台風などの自然災害、疫病の流行がなぜ起こるのかわかりませんでした。 科学の発達した現代では、これらの原因はテレビのニュースや新聞を読めば簡単にわかります。 では、科学の発達していない当時の人々は、天変地異や疫病の流行にどう対処したのでしょうか?