いけ花発祥の地・六角堂
京都市中京区の烏丸通沿いは、多くのビルが建ち並ぶビジネス街となっています。 それらビルに囲まれた烏丸六角に六角堂の通称で親しまれている頂法寺があります。 六角堂は、聖徳太子を開基として創建されたというのですから、その歴史はとても古いです。 そして、その頃から、いけ花があったというのですから、こちらも長い歴史を持っています。 実は、六角堂といけ花の成立には関係があり、六角堂が建つ地は、いけ花発祥の地でもあるのです。
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京都市中京区の烏丸通沿いは、多くのビルが建ち並ぶビジネス街となっています。 それらビルに囲まれた烏丸六角に六角堂の通称で親しまれている頂法寺があります。 六角堂は、聖徳太子を開基として創建されたというのですから、その歴史はとても古いです。 そして、その頃から、いけ花があったというのですから、こちらも長い歴史を持っています。 実は、六角堂といけ花の成立には関係があり、六角堂が建つ地は、いけ花発祥の地でもあるのです。
京都市上京区に北野天満宮が建っています。 祭神として祀られているのは、学問の神さまで有名な菅原道真ですね。 菅原道真が北野天満宮が建つ地に祀られるようになったのは、彼の乳母とされる多治比文子(たじひのあやこ)に道真の託宣が下り、北野の右近の馬場に祀るようにと告げられたからだと伝えられています。 ところで、道真は、なぜ右近の馬場に祀るように告げたのでしょうか。
京都市東山区に建つ泉涌寺(せんにゅうじ)には、天智天皇からの歴代天皇の御尊牌を奉祀している霊明殿という建物があります。 現在の霊明殿は、明治17年(1881年)に明治天皇によって再建されたものです。 泉涌寺は、御寺(みてら)とも呼ばれており、皇室の菩提所として篤く信仰されてきたお寺です。 なので、霊明殿には、天智天皇からの歴代天皇の御尊牌が祀られているわけです。 しかし、不思議なことに天智天皇以降のすべての天皇の御尊牌が祀られているわけではありません。
京都市山科区にある天智天皇陵は、天皇が遠乗りに出かけ行方不明となり、沓(くつ)が落ちていた場所に造営されたという説があります。 確証はあっても埋葬されているのかわからない天智天皇山科陵 天智天皇は、病死というのが通説ですが、実は暗殺されたのではないかともいわれています。 天智天皇が行方不明になったという説が、暗殺説の背後にあるわけですが、では、暗殺したのはいったい誰なのでしょうか? これについては、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)ではないかと考えられています。
天智天皇と言えば、大化元年(645年)の大化の改新の中心人物として知られています。 まだ、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれていた頃、中臣鎌足(なかとみのかまたり/藤原鎌足)とともに蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、その父の蘇我蝦夷(そがのえみし)も自害したことで、政治の中心が蘇我氏から天皇へと移りました。 その天智天皇が崩御したのは、天智天皇10年(672年)で、陵(みささぎ)は京都市山科区にあります。