鳥羽街道の田中神社は伏見稲荷大社の境外摂社

京阪電車の鳥羽街道駅から東福寺に向かう途中、鮮やかな朱色の鳥居の前を通りました。 以前から、東福寺に行く時に何度も通っていたのですが、鳥居をくぐったことはありません。 でも、何度も通りすぎていると、さすがに気になってくるもので、この神社に参拝してみることに。

京都御苑にあった縣井は京都三名水のひとつ

京都には、名水が湧き出る場所がいくつもあります。 特に有名なのは酒蔵が建ち並ぶ伏見ですが、京都市中心部にも名水が湧き出る場所が多くあります。 京都市上京区の京都御苑内にも、縣井(あがたい)と呼ばれる名水が湧き出る井戸が残っています。 残念ながら、現在は涸れてしまっていますが、以前は京都三名水のひとつに数えられたほどの名水が湧き出していました。

慶長伏見大地震で活躍した加藤清正

文禄5年(1596年)閏7月13日。 京都を大きな地震が襲いました。 特に伏見で被害が大きく、豊臣秀吉が築いた伏見城も大きな被害を受けました。 城内にいた中居下女が500人も亡くなったと伝えられていますから、伏見城の被害は相当なものだったのでしょう。

真如堂の藹山自叙碑

幕末から明治時代にかけて活躍した画家に谷口藹山(たにぐちあいざん)がいます。 藹山の生まれは越中国新川郡鉾ノ木村で、名を貞二といいました。 幼少の頃から絵が好きで、18歳で江戸に出て谷文晁のもとに入門し文齋と号しましたが、すぐに梁川星巌(やながわせいがん)のすすめで高久藹崖(たかくあいがん)の門下となって藹山と号しました。

真如堂の小林君之碑

京都市左京区の真如堂には、いくつか石碑があります。 それらの碑文を見ても、何を書いているのか全くわかりません。 でも、石碑の近くには、説明書が設置されているので、それを読むと、石碑の意味が理解できます。 本堂の南側にある小林君之碑(おばやしくんのひ)も、最初は何の石碑かまったくわからなかったのですが、お寺が用意している説明書のおかげでその内容がわかりました。

東福寺の維新戦役忠魂碑

慶応4年(1868年)正月3日に京都で鳥羽伏見の戦いが起こりました。 鳥羽伏見の戦いは、薩摩藩及び長州藩を中心とした新政府軍と旧幕府軍との間の戦いで、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の幕開けとなりました。 京都には、鳥羽伏見の戦いの史跡がいろんなところにあり、京都市東山区の東福寺にも維新戦役忠魂碑が立っています。

下御霊神社の正門にある龍の飾り

京都にはたくさんの神社が建っています。 京都が風情ある街並みをしているのは、いろんなところに神社があることが理由のひとつでしょう。 神社はどこも同じように見えますが、細かいところを見ていくと、その神社に独特の装飾があったりします。 京都市中京区に建つ下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)も、パッと見た感じはそんなに特徴があるように思えないのですが、実は、正門の参拝者が気付きにくいところに龍の装飾があるのです。

下鴨神社の媛小松

京都市左京区の下鴨神社は、世界遺産に登録されている神社とあって、境内には見るものがたくさんあります。 歴史的価値のある社殿はもちろんのこと、自然林の糺(ただす)の森の中を歩くこともでき、京都に旅行や観光で訪れた時には、一度は参拝しておきたい神社です。 そんな下鴨神社の境内には、とんがり帽子のような形をした1本の松が植えられています。 この松は、媛小松と呼ばれています。

茶所に祀られている善光寺黒如来・真如堂

京都市左京区に建つ真如堂は、春の桜や秋の紅葉が有名なお寺です。 そのため、春や秋の行楽シーズンには多くの参拝者で境内がにぎわいます。 お寺でも、それを見越しているのか、参道わきに茶所を設けており、参拝者はここでのんびりと腰かけながら桜や紅葉を観賞できます。 休憩している多くの参拝者の方たちは気づいていないでしょうが、実はこの茶所の仏間には、善光寺黒如来が祀られています。