銀行や証券会社など金融機関が多く軒を並べている京都市下京区の四条烏丸。
四条烏丸は、京都のビジネス街として有名な地域なので、近代的なビルがたくさん建っています。
烏丸通と四条通が交差するあたりは、交通量が多く、道路はバスや自動車であふれており、また歩道はビジネスマンの方やショッピングをされている方で賑わっています。
そんな近代的なビジネス街や繁華街のある四条烏丸ですが、大きな通りから小さな路地に入ると意外とたくさんの神社やお寺が残っています。
今回紹介する平等寺は、地下鉄四条駅から南に少し歩いたあたりに建っているお寺で、変わった伝説が残っています。
海中から引き上げられた薬師如来像
今から千年ほど前の長徳3年(997年)、因幡国司の橘行平が任務を終えて、因幡国(鳥取県)から京都に帰る途中に夢の中でお告げを受けます。
行平は、自分が見た夢のお告げに従って、賀露津(かろのつ)の海中から一体の薬師如来像を引き上げました。
そして、行平はその薬師如来像を因幡国に祀った後、京都へ帰って行きました。
それから数年が経った長保5年(1003年)のある日、突如、行平の邸宅にかの薬師如来像が飛んできます。
行平はそれに驚きますが、薬師如来像を自宅に招き入れて安置しました。
そして、その夜に京都の空に「薬師如来を拝見しなさい」といった声が響き、都の人々が行平の邸宅に集まり拝んだとされています。
その後、行平は自宅を改造してお堂を造り、薬師如来を祀りました。
それが、平等寺の始まりとされています。
上記のような言い伝えから、平等寺は因幡薬師という呼び名で親しまれています。
もちろん、この言い伝えは実際に起こったことではなく、薬師如来像も京都の仏師によって造られたものだとか。
平等寺は、幾度となく火災により建物などを焼失してきましたが、本尊の薬師如来像は燃えることなく現在に至っています。
それは、京都の人々が薬師如来像を大切にしてきたことによるのでしょう。
現在、薬師如来像が安置されている厨子(ずし)は、後ろに滑車と縄が付いていて、非常時に持ち出せるようになっているそうです。
きっと、これからも薬師如来像は、京都の人々の協力によって守られ続けることでしょう。
現在、平等寺では毎月8日に手作り市が催されています。京都観光の際にこういった手作り市に参加してみるのもいい思い出になるでしょうね。
下記のブログで手作り市の体験レポートが掲載されているので、ご覧になってみてください。
なお、平等寺の詳細については下記ページを参考にしてみてください。