京都府八幡市に足立寺(そくりゅうじ)史跡公園という公園があります。
ここは、以前に梅を見に来たところなのですが、公園内に遺跡もあるので、今回の記事ではそれらを紹介します。
和気清麻呂の旧跡
足立寺史跡公園は、京阪電車の橋本駅から南に15分から20分ほど歩いた辺りにあります。
公園内は、それほど変わっているようには見せませんが、中央部分や南側に盛り上がっているところがいくつかあります。
下の写真に写っているのは、足立寺の三重塔跡です。
奈良時代に弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が、宇佐八幡の神託を受け皇位につこうとしましたが、和気清麻呂(わけのきよまろ)が、宇佐八幡に赴き、神託が嘘であったことを見抜きました。
これに怒った道鏡は、和気清麻呂の足を切って流罪にしましたが、八幡宮の助けにより、両足が元通りになったことから、清麻呂が足立寺を建立したと伝わっています。
上の写真に写っているのは三重塔跡です。
高さは25メートルだったようです。なかなか背の高い塔だったみたいですね。
三重塔跡の近くには、中世に建てられたお堂の跡があります。
ここには、南北朝時代に建てられた檜皮葺(ひわだぶき)の建物があったそうです。
足立寺の東側には、和気神社も建っています。
その名のとおり、和気清麻呂を祀っています。
足腰の怪我や病気にご利益があるそうです。
さて、公園の南西に行くと、瓦窯がありました。
上の瓦窯は復元されたものですが、この辺りには奈良時代に瓦窯があったそうです。
説明書によると、写真には写っていませんが、手前に舟底形の部分があり、ここで燃料を燃やし、一時に400枚ほどの瓦を1週間かけて焼き上げていたそうです。
でも、2割程度は失敗作だったとか。
また、この瓦窯には、3本煙突が立っていたようで、こういった構造の窯は全国でも珍しいようです。
瓦窯の奥には、多くの石塔がありました。
これらの石塔がどういったものなのかはよくわかりません。
現在では、足立寺史跡公園のある辺りは、多くの団地が建っていますが、昭和40年ころは森林でした。
足立寺の発掘調査が行われたときには、遺構は約3メートルの厚い砂の下に埋まっていたそうです。
土砂に埋もれたのは平安時代末期頃で、南北朝時代に建てられた檜皮葺のお堂は、最初にあった建物の上に建て直されたと考えられています。
もしも、この辺りの造成が行われなければ、発掘調査もされなかったかもしれませんね。