
初秋の養源院にサルスベリを見に行った・2025年
9月上旬に方広寺にひょうたんを見に行った後、南東に約7分歩き、養源院に参拝しました。 養源院は、血天井で有名で、歴史好きの人に人気の高いお寺です。 晩秋には参道のカエデが真っ赤に色好き、その時期には多くの旅行者や観光客の方が訪れますが、まだ残暑が厳しい9月は人が少なめです。
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9月上旬に方広寺にひょうたんを見に行った後、南東に約7分歩き、養源院に参拝しました。 養源院は、血天井で有名で、歴史好きの人に人気の高いお寺です。 晩秋には参道のカエデが真っ赤に色好き、その時期には多くの旅行者や観光客の方が訪れますが、まだ残暑が厳しい9月は人が少なめです。
9月上旬に京都市東山区の豊国神社に参拝した後、北隣に建つ方広寺にも参拝しました。 方広寺も、豊国神社と同じく豊臣秀吉と縁があるので一緒にお参りしておきたいですね。
9月上旬。 京都市東山区に建つ豊国神社(とよくにじんじゃ)に参拝しました。 豊国神社は、その名からも連想できるように豊臣秀吉を祀っています。 日本史上、最も出世した人物であることから出世開運のご利益が有名ですね。
京都市左京区に建つ南禅寺は、鎌倉時代に創建された臨済宗のお寺です。 鎌倉時代は、臨済宗や曹洞宗といった禅宗が宋から日本に伝えられ、その後、武家に深く信仰されるようになりました。 また、天皇から篤く崇敬されることもあり、南禅寺もまた亀山天皇が臨済宗に深く帰依したことから創建されています。
京都市東山区に建つ新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、永暦元年(1160年)に後白河上皇が熊野権現(くまのごんげん)を勧請(かんじょう)し、法住寺殿の鎮守としたのが始まりとされています。 後白河上皇は、今様(いまよう)という当時の流行歌が大好きで、その歌謡集である梁塵秘抄(りょうじんひしょう)を編んだのはよく知られた話です。 それから約200年後、新熊野神社で足利義満が観阿弥と世阿弥父子の能を観覧しています。
9月上旬。 京都府八幡市の背割堤(せわりてい)を訪れました。 背割堤は1km以上に渡り桜が植えられており、春には大勢の花見客が訪れます。 でも、桜が咲いていない時期は、ほとんど人がおらず、のんびりと歩くことができます。
京都市左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、浄土宗四ヵ本山のひとつに数えられており、広々とした境内に立派な建物がいくつも建っています。 それら建物は、季節ごとに違った趣を感じさせてくれ、訪れる時期によって雰囲気が変わります。 今回は、金戒光明寺の春夏秋冬を山門を中心に紹介します。
幕末に長州藩が京都御所を攻撃する蛤御門(はまぐりごもん)の変が起こり、京都市中では多くの家屋が焼失しました。 さらに明治になって首都が東京に遷ったことにより、京都はこのままさびれていくだけかと思われました。 しかし、長州藩士の槇村正直(まきむらまさなお)が、明治元年(1868年)より権大参事(ごんのだいさんじ)となったことで京都の復興が進み、明治5年には第1回京都博覧会が催され、京都に活気が戻り始めました。
日本で最初に路面電車が走ったのは東京だと思われがちですが、それはまちがいで正しくは京都です。 日本初の路面電車は、京都電気鉄道が明治28年(1895年)に七条停車場から竹田街道を南下する伏見線を走らせました。 東京よりも早く京都が路面電車を走らせることに成功したのは、当時の京都の事情を知るとなるほどと納得します。
浄土宗の開祖法然上人は、建暦2年(1212年)に亡くなり、東山大谷に埋葬されました。 東山には、法然上人が浄土宗の教えを広めた吉水草庵がありましたから、東山大谷に埋葬されるのは自然の流れと言えます。 しかし、現在、法然上人の石棺は東山大谷にはなく、遠く離れた長岡京市に建つ光明寺(こうみょうじ)にあります。