9月末に京都市下京区の仏光寺に参拝した後、東に5分ほど歩き、寺町四条にやってきました。
寺町四条は、家電量販店やパソコンショップが建ち並ぶちょっとした電気街で、スーパーなどのお店もあります。
また、商店に混ざって小さなお寺や神社も建っており、現代的なのか古風なのか、わかりにくい街並みとなっています。
その寺町四条の聖光寺(しょうこうじ)の山門が開いていたので、中に入ってお参りしていくことに。
天野屋利兵衛は男でご座る
聖光寺は、阪急電車の京都河原町駅から西に徒歩5分ほどの場所に建っています。
山門の左前には、「天野屋利兵衛は男でご座る」と刻まれた石碑が置かれています。
綿谷善右衛門こと天野屋利兵衛は、忠臣蔵で赤穂浪士の討ち入りを陰で支えた商人として知られています。
その天野屋利兵衛と大石内蔵助の母のお墓が、聖光寺の墓地にあります。
ちなみに京都市北区の椿寺で知られる地蔵院にも天野屋利兵衛のお墓がありますよ。
本堂に参拝
山門をくぐって少し歩くと地蔵堂が建っているので、お参りをしましょう。
地蔵堂をさらに奥に進むと南向きに本堂が建っています。
聖光寺の説明書によれば、当寺は、山号を錦綾山(きんりょうざん)と号す浄土宗鎮西派のお寺とのこと。
平安時代後期に仏師の康慶の居宅があり、その後園に浄土宗第2祖聖光房弁長(鎮西上人)の草庵があったと伝えられています。
弁長は、ここから法然上人のもとに8年間通い、浄土宗の法灯を受け継いだということです。
元久元年(1204年)、弁長の帰郷に際し、康慶がその別離を悲しみ、弁長自身の真影をこの草案に奉安し、聖光庵と名付けたことが、当寺の起こりとされています。
本堂には、鎌倉時代の作とされる嵯峨式如来立像が祀られています。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
足元には、紫色の小さな秋の花。
境内の奥の庫裡(くり)の近くに石碑が置かれていますが、どのような由緒があるのかはわかりません。
本堂の前には、ここが鎮西派根元の地であることを示す石柱が立っています。
聖光庵から聖光寺と改められたのは、天正6年(1578年)の再建時です。
浄土宗紹介NAVIの聖光寺のページによると、天保3年(1832年)に火災に遭った後、同年に華頂宮尊超法親王が大施主となって復興したのが現在の堂宇とのことです。
木々の下には、赤色のヒガンバナが咲いていました。
白色のヒガンバナも咲いていますね。
私が境内にいる間に見かけた参拝者は3人だけでした。
その3人の方はお墓参りに訪れていたようです。
だから、普段は閉まっている山門が開いていたんですね。
本堂にお参りを済ませたので、そろそろ境内から出ましょう。
外に出ようと思ったら、山門がいつの間にか閉じられていました。
先ほどのお墓参りをされていた方が閉めていったようです。
いったいどうやって外に出ようか考えていたところ、山門わきの勝手口が開くことに気づき、外に出ることができました。
聖光寺の北には、浄教寺という平重盛ゆかりのお寺が建っていますが、その境内では、三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺が開館していました。
ホテルとお寺が融合した新しいスタイルの施設のようです。
四条河原町や四条烏丸にお越しの際は、三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺に宿泊してみてはいかがでしょうか。