人形浄瑠璃の演目「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の有名な場面に「引窓(ひきまど)」があります。
寛延2年(1749年)よりたびたび上演されてきた有名な演目で、舞台となったのは八幡の里、現在の京都府八幡市です。
追われる実の息子を見逃そうとする母
引窓のあらすじは、以下のウェブサイトで紹介されています。
関取の濡髪(ぬれがみ)は心ならずも悪人を殺してしまった後、一目母親に会おうと忍んで八幡の里の母の家を訪ねます。
再婚した母には義理の息子がいたのですが、彼は父の後を継いで代官となっていました。
濡髪は母の家の2階で休ませてもらいます。
そこへ、義理の息子である南方十次兵衛(なんぽうじゅうじべえ)が帰ってきます。
十次兵衛は、濡髪の行方を追う仕事を受けており、人相書を手に手柄を立てるのだと意気込んでいました。
十次兵衛は、2階に人の気配を感じます。
そして、それが濡髪であることに気付きました。
十次兵衛は、義理の母から濡髪の人相書を売ってくれと頼まれた時、2階にいるのが濡髪であると確信します。
それからいろいろとやりとりがあり、母は葛藤の末、濡髪を十次兵衛に引き渡すことを決意しました。
引窓南邸跡の石碑
引窓は、紐を引いて開閉する天窓のことです。
濡髪が2階にいる時、引窓が開いていたことから十次兵衛は濡髪の存在に気付きました。
十次兵衛が濡髪に気付いたことを悟った母は急ぎ引窓を閉めます。
なんとか濡髪を逃がしたい母でしたが、最後はその引窓の縄を引いてきて彼を縛る決心をしました。
この後の演目の内容は、上で紹介したウェブサイトをご覧になってください。
現在、京阪電車の八幡市駅のバスターミナルに「引窓南邸跡」と刻まれた石碑が立っています。
近くには喫茶店があり、その入り口付近に上の写真に写っている石碑があります。
この石碑は、昭和2年(1927年)頃、現在地よりも50メートルほど西側に建立されたのですが、平成28年(2016年)に移設されました。
現在地よりも50メートル西は、男山山上に向かうケーブルの乗り場付近ですね。
八幡市駅には何度も行ってますが、ケーブル乗り場の方に行くことはあまりなかったので、今までこの石碑に気付きませんでした。
現在地であれば、人の行き来が多いので、たくさんの人の目に止まることでしょう。
なお、引窓の舞台となった家は、八幡市八幡高坊周辺にあった家がモデルとなっています。
また、引窓の最後の場面に出てくる放生会は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の勅祭で、毎年9月に催されます。
石清水八幡宮に参拝するために八幡市駅で電車を降りる機会があれば、引窓南邸跡の石碑も見てください。