四条畷の戦いで討ち死にした楠木正行の首塚がある宝筐院
正平2年(1347年)に南朝の楠木正行(くすのきまさつら)は、紀州の隅田城(すだじょう)を攻略し、その勢いで堺ノ浦で細川顕氏(ほそかわあきうじ)を破ります。 室町幕府方の山名時氏は天王寺から退却、藤井寺の戦いでも幕府軍は南朝に敗れました。
観光名所、史跡、四季折々の風景を写真とともに紹介するブログ。※アフィリエイト広告を利用しています。
正平2年(1347年)に南朝の楠木正行(くすのきまさつら)は、紀州の隅田城(すだじょう)を攻略し、その勢いで堺ノ浦で細川顕氏(ほそかわあきうじ)を破ります。 室町幕府方の山名時氏は天王寺から退却、藤井寺の戦いでも幕府軍は南朝に敗れました。