元弘の変で日野俊基が捕えられた京都御所
正中元年(1324年)に後醍醐天皇の討幕計画が事前に漏れてしまい、関係者が六波羅探題に次々と捕えられる正中の変が起こりました。 最終的に正中の変の責任は、日野資朝(ひのすけとも)が一身に背負って、佐渡に島流しになったことで決着しました。 これで、平穏な日々が戻ってくるかに思えましたが、後醍醐天皇の討幕の意思は変わることがなく、この後も様々な計画を立てて討幕へと向かっていきます。
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正中元年(1324年)に後醍醐天皇の討幕計画が事前に漏れてしまい、関係者が六波羅探題に次々と捕えられる正中の変が起こりました。 最終的に正中の変の責任は、日野資朝(ひのすけとも)が一身に背負って、佐渡に島流しになったことで決着しました。 これで、平穏な日々が戻ってくるかに思えましたが、後醍醐天皇の討幕の意思は変わることがなく、この後も様々な計画を立てて討幕へと向かっていきます。
京都市東山区の八坂神社には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られています。 素戔嗚尊は、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで知られていますね。
京都市左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)では、2011年から山門の修復が行われています。 完成予定は2013年秋ということなので、そろそろ工事も終わりに近づいている頃ですね。 どのような姿に山門が変わったのか見たくて、金戒光明寺を訪れてきました。
蒙古襲来があった鎌倉時代中期以降、幕府の信用が悪化していきます。 幕府のために蒙古軍と戦った御家人たちに、恩賞として分け与える土地がなかったことがその理由です。 御家人たちの不満は、他にもありました。それは、幕府の政務を担当していた北条家の権力が強大化していったことです。 窮乏する御家人たちと違い、北条家だけ栄える状況に人々の不満が募るのは当然のこと。 さらに元亨元年(1321年)には、京都で台風、水害、地震といった天変地異が相次ぎ、庶民たちの暮らしも苦しくなっていきます。 加えて、元亨2年に東北で蝦夷が反乱を起こし、鎌倉幕府への不満が加速していきました。 ...
京阪電車の終着駅の出町柳駅付近には、小さなお寺がたくさんあります。 どこも、あまり目立たないので、ほとんどの人が素通りするのですが、9月中旬になると、その中のひとつ常林寺の境内で、たくさんの萩の花が咲くことから、つい中に入って萩に見入ってしまう人をちらほらと見かけます。 そんな人たちに混ざって、私も常林寺の萩を見てきましたよ。
9月は萩の花が咲く季節。 萩の花を求めて、京都に訪れる方は、それほど多くはありませんが、気候的に散策しやすい時期なので、この時期の京都観光の際は、萩の名所を訪ねると良いのではないでしょうか。 9月中旬。 京都市上京区の梨木神社(なしのきじんじゃ)に萩の花を見に行ってきました。
9月中旬。 暑さが和らいできて、散策しやすい季節となってきたことから、京都市左京区の真如堂にお参りをしてきました。 この時期は、そろそろ萩が見ごろになる頃。 真如堂にも萩があるので、たくさんの花が咲いていることでしょう。
毎年9月中旬になると京都市左京区の平安神宮で、神苑の無料公開が行われます。 普段は有料なので、こういった機会を利用すると、お得ですね。 2013年は9月19日に神苑が無料公開されました。 ということで、平安神宮に参拝してきました。
2013年9月15日の夜から16日の朝にかけて京都を襲った台風による豪雨は、各地に大きな爪痕を残していきました。 嵐山を流れる桂川や京都市中心部を流れる鴨川が普段では考えられないほど水位が上昇。 特に嵐山は渡月橋付近が大洪水になり、周辺の旅館やお店、住宅が多数浸水しました。 他にも京都府北部の福知山でも由良川が氾濫し、大きな被害が出ました。 テレビのニュースでは、あまり採り上げられてはいませんでしたが、八幡市も浸水の被害が出ており、桂川、宇治川、木津川もあり得ないほど水位が上昇していました。
大阪に住吉大社という有名な神社があります。 住吉大社には、住吉三神と呼ばれる海神が祀られています。 そのため、海運業や漁業関係者からの崇敬が篤く、大阪だけでなく、海上交通の拠点となる地には住吉神社が建てられ、全国に2千以上もあるということです。 あまり海とは関係のない京都市内にも下京区に住吉神社があります。