桓武天皇は、平安京の造営に際して、王城鎮護を目的として都の四方に大将軍神社を置きました。
京都市東山区の地下鉄東山駅からすぐの場所に建っている大将軍神社もそのうちのひとつです。
鵺の森
東山区にある大将軍神社は、都の東南を守るために置かれた社です。
三条通から南の細めの道路に入ると大きな木々に覆われた大将軍神社が姿を現します。
さっそく西側の鳥居から境内に入ります。
境内の中央には舞殿が置かれていて、その北側には本殿が建っています。
まずは、本殿に参拝。
その後、境内を散策。
本殿に参拝した時には気付かなかったのですが、その近くには大きな木が植えられています。
神社の説明書を読んでみると樹齢800年と伝えられているイチョウであることがわかりました。
この辺りは、以前は鵺(ぬえ)の森と呼ばれていたそうで、このイチョウの木はそう呼ばれていた時代から存在していたんでしょうね。
そう言えば、800年前というと源頼政が鵺退治をした時代とほぼ一致します。
なお、源頼政の鵺退治については下記の過去記事を参考にしてみてください。
摂社・末社にも参拝
境内を散策しているといくつか摂社や末社が建っているのに気付きました。
せっかくなので、これらの社にも参拝しておきましょう。
まずは、荒熊稲荷社に参拝です。
荒熊稲荷社は、境内の西側に建っています。
お稲荷さんと言えば商売繁盛。
朱色の鳥居を見るだけでご利益がありそうに感じます。
荒熊稲荷社の反対の東側には、東三條社が建っています。
ところで、東三條社と刻まれた石柱の左右に社がありますが、一体どっちが東三條社なのでしょうか。
左側の社の鳥居には天満宮と書かれています。
では、右側の社が東三條社かと思ったのですが、こちらは白龍弁財天と書かれています。
一体、どっちが東三條社なのでしょうか。
家に帰って検索してみると「古都の礎」さんの下記記事がヒットし、左の天満宮が東三條社であることがわかりました。
東三条大将軍神社 相殿に藤原兼家を祀る社2014年3月13日追記:左記記事は削除されています。
上記記事および神社の説明書によると、天満宮は平安時代に藤原兼家が築いた東三条第の中の鎮守社として祀られていたそうです。
しかし、応仁の乱(1467年)によって東三条第は廃壊し、今では、大将軍神社の境内に東三條社が残るだけとなっています。
大将軍神社に訪れた時は、どちらが東三條社かわからなかったので、とりあえず天満宮と白龍弁財天の両方にお参りしておきました。
それにしても境内には誰もいません。
観光客の方はもちろん地元の方もいません。
どうやら大将軍神社に参拝される方は少ないようですね。
歴史的に興味深い神社なので、平安神宮や南禅寺に訪れた後にでも参拝してみてはいかがでしょうか。
なお、大将軍神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。