親孝行の僧を救った薬師如来・蛸薬師堂
新京極通は、お土産探しの修学旅行生でいつも賑わっており、京都市内でも若者が多い場所のひとつと言えます。 しかし、新京極通には、お寺や神社も結構多く、お土産を探している修学旅行生やショッピングをしている若者だけでなく、京都にお越しになった観光客の方にも人気のスポットですね。 そんな新京極通と交わる通りのひとつに蛸薬師通(たこやくしどおり)という通りがあります。そして、近くには蛸薬師堂という呼び名で親しまれているお寺が建っています。
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新京極通は、お土産探しの修学旅行生でいつも賑わっており、京都市内でも若者が多い場所のひとつと言えます。 しかし、新京極通には、お寺や神社も結構多く、お土産を探している修学旅行生やショッピングをしている若者だけでなく、京都にお越しになった観光客の方にも人気のスポットですね。 そんな新京極通と交わる通りのひとつに蛸薬師通(たこやくしどおり)という通りがあります。そして、近くには蛸薬師堂という呼び名で親しまれているお寺が建っています。
吉田山にある吉田神社の境内には、斎場所大元宮という末社が建っています。 吉田神社には、たくさんの摂社や末社が建てられているのですが、大元宮は他の摂社や末社よりも大きく、ひとつの立派な神社といった感じです。 そして、この大元宮の朱色の鳥居をくぐった先には、まだ背が低い1本の枝垂れ桜が植えられています。
京都にある五重塔と聞いて、すぐに思い浮かぶのが東寺の五重塔ではないでしょうか。 東寺の五重塔は、京都駅近くに建っていて、新幹線などの電車からも見ることができるので、多くの方に馴染みがある五重塔だと思います。 そのため、「五重塔=東寺」というイメージを多くの方が持っていることでしょう。 しかし、京都市には、東寺の他に右京区の仁和寺、伏見区の醍醐寺、東山区の法観寺(八坂の塔)と合計4つの五重塔があります。 そこで、今回は、京都市の4つの五重塔について簡単に紹介します。
源平の争乱の始まりとなったことで有名なのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱です。 保元の乱の時は、まだ源氏と平家が戦うというよりも朝廷を中心とした争いに源氏と平家が参加したという形でした。 乱の原因は、後白河天皇と崇徳上皇との間の権力争いだったのですが、その争いに源氏も平家も身内同士で戦うことになります。 特に源氏は、父の源為義と長男の義朝が敵味方となって戦い、義朝の弟たちは父・為義につきました。 そして、その弟達の中には、弓の名手として知られる源為朝も混ざっていたのです。
天正10年(1582年)6月2日未明、京都で歴史を変える大事件が起こりました。 それは、後に本能寺の変と呼ばれることになります。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな この歌は、菅原道真が太宰府に左遷させられる前に詠んだ歌です。 そして、自邸に植えられていた梅の木が道真をしたって、大宰府まで飛んでいったと伝えられています。 そのため、道真を祀っている北野天満宮には、2,000本もの梅の木が植えられており、毎年2月25日には、梅花祭が催されます。
京都市左京区の吉田山には、吉田神社という大きな神社が建っています。 吉田神社が大きいので、あまり目立たないのですが、その南側にも宗忠神社という立派な神社が建っています。
京都市右京区には、天龍寺、仁和寺、龍安寺といった世界遺産に登録されている有名寺院を始め、たくさんの寺院が建っています。 そのため、右京区に訪れる観光客の方は多く、上記のような有名寺院は、たくさんの観光客の方で賑わっています。 でも、右京区には、こういった有名寺院の近くに意外と人に知られていない興味深いお寺も多数あります。 今回紹介する蓮華寺もそのひとつです。
その広い京都市の交通の中心と言えば京都駅ですが、地理的な中心と言えば中京区に建つ六角堂と言われています。
京都市東山区の六道珍皇寺の近くに六波羅蜜寺が建っています。 六波羅蜜寺は、天暦5年(951年)に空也上人が開創したお寺で、無病息災、勝負運、金運のご利益があると言われています。