建武の新政に嫌気がさした万里小路藤房が出家した相国寺
元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡した後、元弘の変で常陸に島流しとされた万里小路藤房(までのこうじふじふさ)が、6月に京都に戻ってきました。 これから後醍醐天皇を中心とした政治が行われることに期待を持ちながら京都に戻ってきた藤房でしたが、すぐに護良親王(もりながしんのう)と足利高氏が、いがみ合っていることを知ります。 これは何とかしなければならないと考えた藤房は、すぐに足利高氏の屋敷へと向かいました。
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元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡した後、元弘の変で常陸に島流しとされた万里小路藤房(までのこうじふじふさ)が、6月に京都に戻ってきました。 これから後醍醐天皇を中心とした政治が行われることに期待を持ちながら京都に戻ってきた藤房でしたが、すぐに護良親王(もりながしんのう)と足利高氏が、いがみ合っていることを知ります。 これは何とかしなければならないと考えた藤房は、すぐに足利高氏の屋敷へと向かいました。