慶応2年(1866年)1月21日。
この日、現在の京都市上京区で明治維新の実現を加速させる重要な契約が締結されました。
その契約は、後に薩長同盟とか薩長連合と言われるようになります。
Browsing the archives for the 幕末 tag
最近、八月十八日の政変に関係した記事ばかりですが、今まで書いた個別の記事だけでは、事件の全体がわかりにくいと思います。
そこで今回は、時間を追うような感じで事件の内容をまとめてみました。
幕末の京都では、天誅と称したテロ行為が頻繁に起こっていました。
その多くが、尊王(天皇を敬うこと)や攘夷(じょうい=外国人を追い出すこと)を主張し、反対派を襲撃するというものでした。
このようなテロ行為の中で、大事件でありながら、歴史上はあまり知られていない事件が文久3年(1863年)8月17日に起こります。
その事件の名は、後に本圀寺事件とか因幡二十士事件と呼ばれるようになります。
江戸幕府が、慶応4年(1868年)に鳥羽伏見の戦いで新政府軍に負けたことで、約700年続いた武家政治が終わりました。
倒幕の機運は、坂本竜馬が薩摩藩と長州藩を結びつけた薩長連合(1866年)以降、急速に高まることになりますが、その3年前の文久3年(1863年)8月にも討幕を企てた事件が起こっています。
幕末、吉村寅太郎という人物がいました。
天保8年(1837年)に土佐藩の庄屋の子として生まれた彼は、武市半平太の教えを受け、やがて、文久元年(1861年)に武市が結成した土佐勤王党に加わります。
その後、文久2年に脱藩して、尊王攘夷(天皇を敬い、外国人を日本から追い出すこと)のために働く目的で上洛しました。