京都市伏見区には、以前は水運の拠点だったことから、港がありました。
その港は伏見港と呼ばれ、現在の京阪電車中書島駅付近は港町として賑わっていました。
しかし、今では伏見港は埋め立てられ、公園となっています。
埋め立てられたということは、港が必要なくなったということですが、その理由は一体何だったのでしょうか。
そこで、今回の記事では、伏見港の発展と衰退の歴史について紹介したいと思います。
Browsing the archives for the 安土桃山時代 tag
京都市伏見区には、以前は水運の拠点だったことから、港がありました。
その港は伏見港と呼ばれ、現在の京阪電車中書島駅付近は港町として賑わっていました。
しかし、今では伏見港は埋め立てられ、公園となっています。
埋め立てられたということは、港が必要なくなったということですが、その理由は一体何だったのでしょうか。
そこで、今回の記事では、伏見港の発展と衰退の歴史について紹介したいと思います。
京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たんとなっています。
そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。
しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。
安土桃山時代の茶人として有名な人物といえば千利休ですよね。
千利休は、豊臣秀吉の帰依を受けて茶道を普及させていき、天正15年(1587年)には北野大茶の湯といった一大イベントに深く関わるなど、秀吉との仲も非常によく、政治についても秀吉の良き相談相手でした。
ところが、利休は天正19年に秀吉から突如切腹の命を受け、70歳でその生涯に幕を閉じました。
京都市東山区にある京阪電車の清水五条駅から七条駅の間には、豊臣秀吉と関係のある旧跡が多くあります。
以前に紹介した方広寺や豊国神社は、豊臣秀吉と関係があるものですが、その近くにも秀吉と関係の深い耳塚があります。