赤ちゃんの夜泣きが止むと伝わる本隆寺の夜泣き止め松

京都市上京区の西陣に法華宗真門流の総本山である本隆寺(ほんりゅうじ)が建っています。 本隆寺には、享保15年(1730年)の西陣焼けでも、天明の大火(1788年)でも、西陣一帯が焼け野原になったにもかかわらず、焼失を免れた本堂と祖師堂があります。 そのため、本隆寺は、不焼寺(やけずのてら)と呼ばれています。 その焼失を免れた祖師堂前には、1本の松が植えられており、赤ちゃんの夜泣き止めにご利益があると信仰されています。

梅雨の圓徳院の北庭はしっとりとした木々の葉と巨石が心に潤いを与える

6月上旬に訪れた京都市東山区の圓徳院(えんとくいん)。 南庭を鑑賞し、襖絵などを拝観した後、北書院にやってきました。 梅雨に鑑賞する圓徳院の方丈南庭 圓徳院の庭園は、北書院の前に広がる北庭の方が有名で、参拝時には誰もが時間をかけてじっくりと眺めたくなるはずです。

梅雨に鑑賞する圓徳院の方丈南庭

梅雨入りした6月上旬。 京都市東山区の圓徳院(えんとくいん)に参拝してきました。 圓徳院は、京都の風情を感じることができる東山に建っています。 周辺には高台寺や八坂神社など人気の寺社が多く、いつ来ても、旅行者や観光客の方がたくさん歩いていますね。 でも、梅雨時は割と人が少なくなるので、きっと、圓徳院も落ち着いて拝観できるはず。 そう期待しながら、京阪電車の祇園四条駅から歩いて圓徳院に向かいました。

初夏に鑑賞した無鄰菴の庭園

6月初旬。 季節は、そろそろ初夏から梅雨に移る頃。 しばらくは雨の日が多くなるだろうと思い、晴れた日を選んで京都散策に出かけました。 今回の散策は、京都市左京区にある無鄰菴(むりんあん)です。 これまで無鄰菴には、一度も行ったことがありませんでした。 存在すら忘れていたのですが、どこかに初夏に鑑賞するのに良さそうな庭園がないかとガイドブックを探していて、無鄰菴を思い出した次第です。

池の周囲に整然と並ぶサツキ・要法寺

6月初旬。 京都市左京区の要法寺(ようぼうじ)に参拝してきました。 要法寺には、4月下旬にもお参りしています。 その時には、カルガモの雛が誕生したばかりだったのですが、それから1ヶ月経ってどれくらい大きくなったでしょうか。 要法寺でカルガモの雛が順調に育っている・2016年 もう、鴨川への引っ越しを終えているかもしれません。

平安神宮の中神苑の見ごろを迎えたスイレン・2016年

6月3日に京都市左京区の平安神宮の神苑が無料公開されました。 この時期は、西神苑のハナショウブがとてもきれいで、多くの拝観者が群生するハナショウブに見とれていました。 平安神宮の西神苑で見ごろを迎えたハナショウブ・2016年 西神苑の次は、中神苑へと向かいます。 中神苑には、蒼龍池(そうりゅういけ)と呼ばれる池が苑内中央にあり、梅雨から夏の終わりまで無数のスイレンが花を咲かせます。

織田信長の急死を予言した安国寺恵瓊の首塚がある建仁寺

天正元年(1573年)。 織田信長が力を持ち始めた頃、彼があっけなく命を落とすことを予言した人物がいました。 その人物の名は、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)。 「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」 安国寺恵瓊は、織田信長の死を予言し、その後、信長の家臣に過ぎない木下藤吉郎(豊臣秀吉)が天下をとることを言い当てたのですから、戦国時代最高の予言者だと言えるでしょう。