「 京都の交通 」一覧

油掛通にある電気鉄道事業発祥の地の石碑

油掛通にある電気鉄道事業発祥の地の石碑

京都市伏見区に油掛通という名の道路があります。 その名は、通りに西岸寺(さいがんじ)というお寺があり、そこに油掛地蔵が祀られていることが由来とされています。 さて、油掛通には、「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑があります。 そう、日本での電鉄の営業は、京都市から始まったのです。

清水焼発祥の地・五条坂

清水焼発祥の地・五条坂

京都の名産品で思い浮かべるものは何でしょうか。 西陣織がすぐに思い浮かぶ方もいらっしゃるでしょうし、京友禅だと言う方もいらっしゃるでしょう。 そして、清水焼が真っ先に思い浮かぶという方も多いかと思います。

四条通の歩道が広くなって観光客が歩きやすくなった

四条通の歩道が広くなって観光客が歩きやすくなった

2014年の秋から2015年秋にかけて京都市中心部を東西に走る四条通の歩道拡幅工事が行われています。 すでに6月末時点では、部分的に歩道が広げられており、歩行者が快適に歩けるようになっています。 旅行や観光で京都に訪れた方にとって、広々とした歩道は今までよりも利便性が増し、さらに国内外からの旅行者が増えそうです。

帰ってきて欲しくない人には戻橋を通らさない

帰ってきて欲しくない人には戻橋を通らさない

京都市上京区の堀川に一条戻橋という橋が架かっています。 この橋には、様々な伝説があります。 有名なところでは、平安時代に文章博士であった三好清行(みよしきよつら)の葬儀の行列が、戻橋を渡っているときにその子の浄蔵が紀州熊野から帰ってきて棺に泣きすがっていると、清行が一時的に蘇生して父子の対面が実現したというものがあります。 戻橋という名は、この言い伝えが由来になって付けられたものだと言われていますね。

近世の京都の物流を支えた高瀬川

近世の京都の物流を支えた高瀬川

2014年は、大坂冬の陣から400年目にあたります。 大坂冬の陣は、翌年に起こった夏の陣で豊臣家が亡びていることから、歴史的にみて重大事件と言えますね。 大坂冬の陣はとても有名な事件ですが、京都では、同じ年の慶長19年(1614年)に物流に革命が起こりました。 それは、高瀬川が完成したことです。

交通や旅行に関する日本初が2つある中書島駅

交通や旅行に関する日本初が2つある中書島駅

京都市伏見区と聞いて、連想するものってなんでしょうか? 伏見稲荷大社、伏見桃山城、酒蔵、寺田屋なんかは、伏見の名所として割と有名なので、多くの人が、これらをすぐに思いつくことでしょう。 でも、京都通の方や鉄道ファンの方なら、もしかすると京阪電車の中書島駅を真っ先に連想するかもしれませんね。

今も昔も人や物の往来が多い粟田口

今も昔も人や物の往来が多い粟田口

昔、京都への入口のことを「口」といいました。 代表的な口が7つあったことから、これらを総称して京の七口と言ったりもします。 その中で東の入口となっていたのが粟田口(あわたぐち)です。 粟田口は、三条大橋の近くに設けられ、東海道、東山道、北陸道の三道に通じていました。

左は五条へ右は三条へ・五条別れの道標

左は五条へ右は三条へ・五条別れの道標

京都は、街中に様々な史跡があります。 一見して、それとわかるものもあれば、道路の脇にさりげなく石碑が置かれていて、見落としてしまいそうなものなど、多種多様です。 京都市山科区にある「五条別れ」の石柱は、あまり大きくない道路の角にポツンと置かれています。 私は、この石柱を見るために山科区に訪れたのではなく、発見したのは偶然です。 一体、五条別れの石柱は、どういったものなのでしょうか。

江戸時代の荷物の運搬を助けた車石

江戸時代の荷物の運搬を助けた車石

京都駅から伏見区まで南北に竹田街道が走っています。 竹田街道は昔から京都の交通にとって重要な役割を果たしており、人だけでなく多くの荷物も行き来していました。 江戸時代には、荷物を運ぶのに牛車(うしぐるま)を利用しており、材木や米などが運ばれていました。

坂本竜馬スタンプラリー第2弾も景品ゲットぜよ

坂本竜馬スタンプラリー第2弾も景品ゲットぜよ

京阪電車が、またまた坂本竜馬のスタンプラリーを開催。 期間は、2010年7月1日から12月23日までの約半年間です。 1回目のスタンプラリーでは、スタンプを3つ集めて見事に景品のあぶらとり紙をゲットできました。 もちろん、第2弾の今回も景品をゲットするべくスタンプラリーに挑戦してきました。