京都の地理一覧

頂妙寺と仁王門通の関係

京阪電車の三条駅から北に数分歩くと、頂妙寺という日蓮宗のお寺が建っています。 この界隈は日蓮宗のお寺が多いですね。 観光寺院ではないのですが、門が閉ざされているわけではないので、誰でもお参りができるようになっています。 頂妙寺は、京都の地理に関わる建造物が境内にあるということなので、それを一目見ておきたいと思い、参拝してきました。

平安時代から栄えていた二条寺町

京都市内には、繁華街がいくつかありますが、その中で、有名なところと言えば、寺町や新京極のアーケード街ではないでしょうか。 この辺りは、修学旅行生でいつも賑わっていますね。 アーケード街となっているのは、三条寺町付近で、そこから北に少し歩くと二条寺町があります。 二条寺町には屋根はありませんが、昔ながらのお店がいくつも並んでいます。 お店を眺めながら、寺町通を歩いていると、その一角に井原西鶴の句が刻まれた石碑が置かれているのを発見しました。

閻魔前町には本当に閻魔さまがいる・引接寺

京都市上京区に聞くからに恐ろしくなる地名が残っています。 その地名は、閻魔前町(えんままえちょう)。 なぜ、こんな恐ろしい地名なのかというと、それはもちろん、ここに地獄の閻魔さまがいるからです。 閻魔さまなんていないとおっしゃる方もいるでしょうが、はるか昔にあの世に会いに行った人がいるのですから、いるのかもしれませんよ。 その閻魔さまに会いに行ったと伝えられているのが、小野篁(おののたかむら)です。

西賀茂大将軍神社の石柱

京都市北区の西賀茂を歩いていると、大将軍社と刻まれた石柱を発見しました。 大将軍社は、平安遷都(794年)の際に桓武天皇が王城鎮護のために都の四方の隅に祀った社 です。 そのうちのひとつが西賀茂の地にも存在していたんですね。

琵琶湖疏水の流れを追いかける

京都市を流れる川には、鴨川や桂川などがあります。 これらの川は、昔から京都を流れていましたが、江戸時代や明治時代にできた川も存在します。 鴨川の西を流れる高瀬川は、江戸時代に角倉了以(すみのくらりょうい)によって開削されたもので、木屋町通を歩いていると川のせせらぎが爽やかに感じますね。 明治時代にできた川は、琵琶湖疏水で、その流れは鴨川にも負けないほどです。 ところで、どうして琵琶湖疏水は造られたのでしょうか。 また、どこに向かって流れているのでしょうか。

都を守る4つの大将軍社

平安京は、現在の二条城付近に造営されました。 この地が選ばれたのは、北に山、東に川、西に道、南に湖がある四神相応(しじんそうおう)の地だったからです。 四神とは、四方を守る神のことで、北は玄武、東は青龍、西は白虎、南は朱雀という神がそれぞれの方角の守護神とされています。 これを平安京に当てはめると、北は船岡山、東は鴨川、西は山陰道、南は巨椋池(おぐらいけ)となります。 このように平安京は、四神に守られた縁起の良い場所だったのです。 さらに桓武天皇は、平安遷都の際、奈良春日大社から方位を司る大将軍という神を勧請(かんじょう)し、都を守る方除の神として四方に祀りました...

右京区にある2つの人工の池

京都市右京区には、2つの大きな池があります。 ひとつは大覚寺にある大沢池(おおさわのいけ)で、もうひとつは、そこから1kmほど東にある広沢池(ひろさわのいけ)です。 どちらも自然にできた池だと、当初は思っていましたが、実は人工的に造った池だということを知りました。

東山三十六峰は実際に36の峰がある

京都市の東には東山という山がそびえています。 よく東山三十六峰と呼ばれることがありますが、この呼び名は中国の嵩山(すうざん)が嵩山三十六峰と呼ばれることから、それを真似て名付けられたと伝えられています。 なので、東山三十六峰と言っても実際に36の峰が存在しているわけではなさそうな気がしますよね。 ところが、東山には本当に36の峰が存在しているようです。

賀茂川と鴨川の違い

京都市内を流れている川と言えば、鴨川を連想される方が多いと思います。 鴨川は、「かもがわ」と読みますが、賀茂川と書いて「かもがわ」と読むこともあります。 有名なのは、鴨川と書く方ですが、ではなぜ賀茂川とも書くことがあるのでしょうか。