京都散策をする場合、事前にガイドブックなどでどこに行こうかと、あれこれ調べます。
そして、行きたい観光名所が決まったら、後は電車やバスに乗って目的地に向かいます。
目的の観光名所を見て廻った後は、そのまま電車に乗って帰ることもありますが、周辺を歩くこともあります。
以前に嵐山方面の散策に出かけた時、京福電車の有栖川駅の近くを通りかかったら、神ノ木弁財天が祀られている社を発見しました。
これも何かのご縁ということで、神ノ木弁財天に参拝していくことに。
無動寺から授かった木像
神ノ木弁財天は、京福電車の有栖川駅から東に2分ほど歩いた辺りに建っています。
境内に背の高い木が数本植えられています。
この辺りは住宅街なので、一部分だけ木々が茂っているのに違和感を感じます。
その違和感の元を確かめようと立ち寄ったら、そこに神ノ木弁財天が祀られているのに気づきました。
入り口近くに神ノ木弁財天の由来が書かれた立札があるので読んでみましょう。
今から300年ほど前、葛野郡城州生田村の庄屋海老名庄左衛門が比叡山の無動寺の管長より霊験あらたかな木像を授かります。
庄左衛門は、その木像を家宝として神棚に祀り日々拝礼をしていました。
次代の庄左衛門がある日夢を見ます。
そして、目を覚ました彼が神棚を拝み見ると、木像の指が3本折れていました。
不思議に思った庄左衛門は、お寺で祓い清めた後、御性念を抜いてもらうために嵯峨の徳林寺法主に依頼した上で、中京三条通付近の仏師に修復を頼みました。
しかし、その仏師はあまりにもあらたかな木像であったことから断ります。
修復を断わられた庄左衛門は、天龍寺管長にお願いして御性念を抜いてもらい、再び仏師に修復を依頼しました。
すると仏師は修復することを承諾します。
庄左衛門は、修復された木像を元の神棚に祀りましたが、神ノ木に遷座したいとの夢のお告げを聞きます。
そこで、同村の安井仙之助の尽力で、北村利一郎の私有地に明治22年(1889年)秋、神ノ木弁財天として祀られるようになりました。
本殿に参拝
何やら縁起の良さそうな由来ですから、本殿にお参りをしておけば良いことがありそうです。
境内に入ると、朱色の鳥居が建っています。
その鳥居をくぐると、もうひとつ石造りの鳥居があります。
狭い間隔で鳥居が並んでいたため、朱色の鳥居をくぐって頭を上げた時、石造りの鳥居にぶつかってしまいました。
油断していると、たまにこういうことがあります。
それでは、本殿にお参り。
弁財天ということですから、技芸上達や福徳財宝のご利益を授けてもらえそうです。
何気なく歩いている時に新たな発見があるのが、京都散策の楽しみのひとつですね。