京都市内最古の五重塔は醍醐寺にある

京都市内には五重塔が4つあります。

その中で最も有名なのは東寺の五重塔でしょうね。また、京都の風情を感じることができるのが東山にある八坂の塔ではないでしょうか。

そして、京都市内で最も古い五重塔があるのが伏見区の醍醐寺です。

他の3つの五重塔は室町時代や江戸時代に再建されたものなのですが、醍醐寺の五重塔は、なんと平安時代からずっと存続しているのです。

千年以上も建ち続ける五重塔

醍醐寺は、上醍醐と下醍醐に分かれており、五重塔があるのは下醍醐です。

青空を背景に建つ五重塔

青空を背景に建つ五重塔

下醍醐の整備造営が始まったのは延喜4年(904年)頃からとされています。

また、醍醐寺発展の基礎となったのは、延喜7年に醍醐天皇の勅願寺となって以降で、上醍醐へ登るための中継地点として宿院が整備されました。

そして、延長4年(926年)に釈迦堂が建立され、その後、下醍醐の伽藍が造営されていきます。ちなみに釈迦堂は現在、金堂と呼ばれています。

五重塔が完成したのは、天暦5年(951年)のことで、以後、千年以上も下醍醐に建ち続けています。

戦乱でも焼失しなかった五重塔

京都は、歴史上、数々の戦乱に巻き込まれた町です。

源平合戦南北朝の騒乱応仁の乱から100年続いた戦国時代、幕末の蛤御門(はまぐりごもん)の変など、多くの建造物が焼失しました。

その中でも、運が良かった建物は、時の権力者によって再建されましたが、多くの文化財が戦乱によって失われており、今では小さな石碑が残るだけとなっているものもたくさんあります。

見上げる五重塔

見上げる五重塔

戦乱に巻き込まれたのは醍醐寺も同じです。

南北朝時代には上醍醐が焼失し、再建されたのは御影堂、如意輪堂、経蔵だけ。

さらに応仁の乱では、下醍醐の伽藍が焼失し、金堂や三昧堂などが灰燼に帰しました。この時に残っていたのは、南大門、東門、五重塔などです。

南北朝の騒乱や応仁の乱で大打撃を受けた醍醐寺でしたが、豊臣秀吉の庇護を受け、多くの伽藍が豊臣家によって再建されました。

秀吉は醍醐の花見も行っていたことから、醍醐寺をとても気に入ってたんでしょうね。

もしも醍醐寺が豊臣家の援助を受けていなければ、その後、衰退し五重塔も現在まで残っていなかったかもしれません。

春に見た五重塔

春に見た五重塔

醍醐寺の五重塔は、京都市内の五重塔の中で最古のものになりますが、京都市内に残る建造物の中でも最古のものです。

上京区の千本釈迦堂も古い建造物ですが、それでも鎌倉時代の建物です。

醍醐寺の五重塔から300年ほど後に建てられたものなので、最近のものとは言えませんが、醍醐寺の五重塔と比較すると新しい建物です。

醍醐寺の五重塔は、一番下の屋根が最も広く、上に行くにしたがって小さくなります。

そのため、全体を見ると縦に長い三角形になっています。

これは醍醐寺の五重塔の特徴です。なお、他の3つの五重塔は5つの屋根が全部同じ大きさです。

斜めに見た五重塔

斜めに見た五重塔

醍醐寺の五重塔を眺めていると、平安時代らしい建物だと感じますね。

周りに近代的な建物もないので、ここに来ると、千年前に戻ったかのような気分になります。

なお、醍醐寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。