坂本竜馬と中岡慎太郎が眺めている京都市街・京都霊山護国神社

京都市東山区の霊山(りょうぜん)に京都霊山護国神社が建っています。

霊山には墓地があり、そこには、明治維新のために尽くした志士1,356名の御霊が祀られており、その中には、坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓もあります。

今まで、一度は京都霊山護国神社の墓地に行ってみようと思っていましたが、なかなか機会がなく行けていませんでした。

このままだと、一生行かないなと思ったので、先日、時間をとって京都霊山護国神社にお参りをしてきました。

日本で最初の官幣招魂社

京都霊山護国神社は、京阪電車の祇園四条駅から東に20分ほど歩いた辺りに建っています。

高台寺の南に神社へと続く参道があります。

参道

参道

この参道は、維新の道と呼ばれており、石碑が置かれています。

維新の道の石碑

維新の道の石碑

ちなみに上の写真に写っている石碑に刻まれている「維新の道」の文字は、パナソニックの創業者の松下幸之助が書いたものです。

維新の道は坂道となっているので、京都霊山護国神社の境内に着く頃には、少し息がきつくなりますね。

京都霊山護国神社

京都霊山護国神社

まずは、本殿にお参り。

京都霊山護国神社は、慶応4年(1868年)5月10日に日本で最初の官幣招魂社として誕生しました。

当時は、京都招魂社と呼ばれていました。

慶応4年と言えば、新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発した年です。

戦地に赴く兵士たちが、戦死したとしても、国のために命を賭して働いたのだから、国家が篤く慰霊することを約束し、京都招魂社を創建したわけです。

その後、明治2年(1869年)に戊辰戦争が終結すると、明治政府は、この戦争以後の戦死者の霊は東京招魂社に祀ることとし、京都招魂社の心霊も東京招魂社に遷されました。

なお、この時に創建された東京招魂社とは、現在の靖国神社のことです。

坂本竜馬と中岡慎太郎の墓前からの眺め

本殿にお参りを済ませた後は、墓地へ。

入口には、自動改札機があり、300円を投入すると、戸が開きます。

墓地入口

墓地入口

墓地の案内をいただき、石段を上っていきます。

現在の墓地に祀られているのは、黒船が来航した嘉永6年(1853年)から戊辰戦争が始まるまでに命を落とした志士たちが中心ですが、第2次大戦で亡くなった方や自衛隊員の霊もここに祀られています。

山の中腹には休憩所があります。

ドリンクの自動販売機もあるので、小休止するにはちょうど良い場所です。

休憩所

休憩所

休憩所からの眺めはなかなか見事で、八坂の塔を見下ろすことができます。

休憩所からの眺め

休憩所からの眺め

休憩所の近くには、土佐藩出身の坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓があります。

坂本竜馬と中岡慎太郎の墓

坂本竜馬と中岡慎太郎の墓

左が坂本竜馬のお墓で、右が中岡慎太郎のお墓です。

左が坂本竜馬、右が中岡慎太郎

左が坂本竜馬、右が中岡慎太郎

坂本竜馬と中岡慎太郎は、仲の悪かった薩摩藩と長州藩の間に入って、薩長同盟を締結させたことで知られています。

その後は、幕府に狙われることとなり、慶応3年11月に近江屋で刺客に襲われ命を落としました。

お墓の横には、坂本竜馬と中岡慎太郎の像も置かれています。

坂本竜馬と中岡慎太郎の像

坂本竜馬と中岡慎太郎の像

同じような像は、円山公園にもありますが、墓地にある像は両手で持ち上げることができるくらいの大きさしかありません。

円山公園のものは実物大くらいなんですけどね。

アップで撮影

アップで撮影

2人が見つめているその先にあるものは・・・。

京都市街です。

京都市街

京都市街

曇ってはいたものの空気が澄んでいて、見晴らしが良かったですよ。

京都には背の高い建物がないので、遠くまで見通すことができます。

この見晴らしの良さは、幕末から変わっていないんでしょうね。

なお、京都霊山護国神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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