日本初の駅伝のスタート地点は三条大橋

毎年、正月になると箱根駅伝が行われます。

箱根駅伝は、すっかり定着して冬の風物詩となっていますね。

ところで、駅伝が日本で生まれたというのはご存知でしょうか。

最初に駅伝が行われたのは、大正6年(1917年)のことです。

ゴールは東京の上野不忍池の博覧会正面玄関。

そして、スタートは、京都の三条大橋でした。

3日に渡る駅伝

京都から東京までの駅伝なので、1日で完走することはできません。

スタートは4月27日で、ゴールしたのは29日。

時間にして55時間34分もかかったそうです。

三条大橋

三条大橋

ところで、なぜ、京都と東京の間で最初の駅伝が行われたのでしょうか。

大正6年は、東京遷都50周年にあたります。

それを記念して、奠都(てんと)50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が行われたのです。

三条大橋をスタートして、東海道をひた走り上野不忍池へ。

競争したのは、東軍と西軍の2チームでした。

3日間の激闘の末、勝利したのは東軍で、西軍に1時間半もの大差をつけたそうです。

しかし、この駅伝は最初から西軍が不利な状況で行われていたと、以前に紹介した「タイムトラベル もうひとつの京都」という書籍の中で述べられています。

この駅伝、最初から西軍に不利な競争であった。大阪がチームを編成できず、今と比べると、中学生と高校生集団の西軍に対して、大学生率いる東軍の戦いである。結果は一時間半近くの差をつけられて西軍の大敗だった。

確かにこの条件だと西軍が不利ですね。

しかし、東軍も最初から最後まで優勢だったわけではないようです。

京都市情報館というWEBサイトの京都おもしろ情報のページによると、東軍の13区の選手がアキレス腱を切るアクシデントが発生し、14区の選手が2区間分の42kmも走ったそうです。

西軍としては、13区と14区の間で巻き返したいところだったのでしょうが、東軍の粘りには勝てなかったんですね。

駅伝の碑

現在、三条大橋の北東角に駅伝の碑が置かれています。

駅伝の碑

駅伝の碑

駅伝の碑の下の茶色い部分には、スタートの三条大橋から順に草津、水口、北土山、亀山と上野不忍池までの23区間が記されています。

駅伝区間

駅伝区間

ちなみに日本最初の駅伝の東軍のアンカーは、日本人初のオリンピック選手の一人である金栗四三(かなぐりしぞう)でした。

金栗四三は、オリンピックのフルマラソンで最も遅い記録を持っている人物として知られています。詳しくは以下のブログをご覧ください。

なお、金栗四三は、日本最初の駅伝の3年後に行われた箱根駅伝の開催に尽力したことでも知られています。

2017年は、東京遷都150周年。

もしかしたら、この年に再び三条大橋から上野不忍池まで東海道をひた走る駅伝が開催されるかもしれませんね。

駅伝発祥百年記念の碑

平成29年(2017年)4月29日で、駅伝発祥からちょうど100年を迎えました。

この日に三条大橋の駅伝の碑の近くに駅伝発祥100年を記念する石碑が新たに建立されました。

駅伝発祥百年記念

駅伝発祥百年記念

建立したのは、「一般財団法人 京都陸上競技協会」とのこと。

石碑の上の方に穴が空いてますが、ここに顔を入れて記念撮影するのでしょうか。

なお、私が「駅伝発祥百年記念」の碑を初めて見たのは、平成29年5月12日です。

上の写真はその日に撮影しました。